all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

8/16 白い暴動(映画)

ちょっと前に某所で見た「白い暴動」についての備忘録。

 

eiga.com

こういう紹介をちゃんと読んでたら、きっと見にいかなっただろう。いや、ギリ行ったかな?

「白い暴動」でググって出てくる数々の言説(をを、あれを言説と言うのなら)を見てたら間違いなく行かなかっただろう。いや、怖いもの見たさに行ったかな?

 

 

とにかく、フライヤーを見た時に頭に浮かんだのは、

White riot, I wanna riot
White riot, a riot of my own

そう威勢良く歌うジョー・ストラマーを見たいという事だけだった。ジョージオーウェルが好きな、ミドルクラス出身のロマンチストの男が(詳しくは付記2で)、一番元気だった頃を、そして一番かっこよかったと個人的には思う頃を見たいだけだったのだ*1

だから映画館に見に行った。

 

映画は、まあ何というか、そういうモノだった。

London Callingを伴ってのオープニングは高揚感をかき立てるけど、それは映画の力じゃなくて曲の力だ。そしてあとは地味に、ジミに、RAR*2とNF*3の対決が語られる。いや、それが悪いって言うんじゃない。でも映画としてはあまりにつたなく、たどたどしい。

例えば昔見たシクロという映画、Radio HeadのCreepがかかっているトレイラーがずるくて*4それだけで必見のフラグが立ってしまったのだけど、それでも映画としてちゃんと立っていたので*5、強引とも思えるCreepの使いっぷりも許さざるを得なかった。トレイラーの言語道断なあざとさを含めて。

それに比べると、これはひどい。様々な発言に絵と記録映像がくっついているだけだ。確かにNFはお話にならない。ナチスのシンパが多かったUKらしいと言えばそれまでだが、あんなのが1977年にまだ示威活動をしてたのを映像で見るのはなかなかの体験だ。しかし、それはそれとして、なぜ映画でなければならないのか。なぜエモーションを喚起するフォーマットである必要があるのか。問題はそこだ。

結局のところRARがやったことは、NFを押さえ込むためにNF以上の動員をするという「数」の決戦であって、そして地方から集まってきた人たちは自らを「良識派」と名乗っていた。そう、良識がある人たちをuniteするために音楽を使った、という話を84分かけて説明したというのがこの映画のすべてであって、どこをどう見ても白い暴動と名乗る必然性にはつながっていかない。

「これはウッドストックじゃない」とは記録映像の中でRARの主催者が述べる言葉だけど、明確にこの映画の本質を語っていておかしい。

「ここは音楽を聴くあつまりじゃないんだ、政治集会のおまけとしてみんなをuniteさせるアトラクションを提供してるだけなんだ。みんな、トム・ロビンソンの歌を聴いて一つになってくれ」彼の言いたかったことは、きっとこんなことだったのだろう。それをはっきりと言わない/言えないところにこそRARの本質があるのだと見る。政治活動と構えさせずに政治活動に人々を動員するという方針こそがRARなのだ。

実際、ライブのトリは当時人気絶頂のクラッシュではなく、「人をつなぎ合わせる」トム・ロビンソンが務めた。なんというダサい趣味。テイストじゃなくて、機能が求められるなんて、まさに政治集会だ。

 

なるほど、大変でしたね。そうやってRARの皆さんはNFを退治したのですね。政治活動だと意識させずに人を動員する方法を採用して、成功を収められたのですね。

しかし、では何故そのような戦略がNFを退けたのだという政治ドキュメンタリーにしなかったのでしょうか?何故(新しい)音楽やカルチャーが(古い)Racismを退けたという新旧対立の構図の刷り込みに終始されるのでしょうか?事実の記録(ドキュメンタリー)というには、あまりにもタイトルとのギャップがあります。

 

誰が見ても確実に判ると思うが、白い暴動である必然は映画の中に存在していない。ではなぜ白い暴動なのか。それは、いま、この時のことをより多くの人に語りたいという欲(まあ意図でもいいけど)の現れと見るべきだ。では、ファシストとナチの区別もつかないナイーブな人たちの物語を、白い暴動というキャッチーなイコン付き(付いているだけ)の映画にして拡散させなければならないのはどのような意図ゆえなのか。

それは今のところ判らない。が、少なくともRARの「うつくしい」思い出のためではないだろう。もちろん何らかの陰謀だとも思わないが、しかし特定の側面にのみ光を当てた、意図が山盛りの作品であることに疑いはない。

 

NFのようなものに対峙するときには意思と数が必要で、数を集めるには戦略がいる。それはその通り。それをうまくやれば成功するというのも我々を勇気づける。が、それ以上のことはここには無い。であれば、映画である必要はないだろう。

何しろツマラナイ作品であった。

 

以上、作品の感想はここまで。 

 

 

 

 

あとは作品を見に行ったことを含めての感想。こっちはより面倒な話になる。

 

ああ詰まんなかったなあ、時間を無駄にしたなあ.と思いつつ(ツマラナイと思うと見ながらまとめる癖がある)、それでも劇中曲をちゃんと再確認しようとエンドロールを凝視していたら、それを横切って邪魔をしてくれる人影多数。おまえら何見に来てるの?ここのエンドロールの曲表チェックしないでどうするの?サントラでてないみたいだぜ?

その疑問の答えは、理解しがたい人たちの影が中央通路隣のワタシの席に近づいてきて、どんな年齢、風体なのかが見えた時におおよそが判った。映画が終わって明かりがついて場内に残っている人を見てはっきりした。ああ、この人たちはagainst racismの部分だけを見に来た人たちなんだな。クラッシュどころか、Rockの事は添え物なんだな、と。

 

なるほど、なるほど。みなさんはRacistが良識ある人たちに打ち負かされる話を見に来たのですね?

(今日ググってよくわかりましたよ。え、これが今の日本の状況に重なるのですか?ピーター・バラカンさんは思い込みが強いのでどうにも困りますねえ...)

 

場内の一人一人アンケートをしたわけじゃないので、直接的な根拠は残せない。あくまでも直観(直感じゃないよ)。でも傍証はある。最近そこの上映リストにずっと違和感があったんのだけど、「そういう傾向が好きな人たちに向けてのプログラムの割合が高くなってきている事」だと言語化するとすっきりする。

まあ、彼らはお金を落としてくれるのだろう。いろんな人が足を運ぶプログラム選定は映画館の存続に必要だし。しかし、母屋を貸して庇をとられるという事をやはり恐れるし恐れてほしい。緊張感をもったうまい舵取りをして、どちらにも偏らない(どちらからも金を巻き上げる)、結局は映画の素晴らしさがコアにある自由な映画館であってほしいと思う。

しかしついに小川淳也のあの映画も掛かってるしなあ、あの手の人たちからのお金を恐れず受けいると腹を括っちゃったのかもしれないなあ。ふんだくれるだけふんだくろう、と。だとしても、何しろ一線を越えないでうまくやってほしい。

 

そのためにも、もう少し(映画的なプログラムを)見行かなきゃね。

そのような恐るべき結論が、白い暴動(映画)の本当の感想。

 

 

 

追記1

映画的にはまったくもってアレだったけど、当時の音楽を覚えている身としては、それでも見所はいくつかあった。

 

The Selectorのポーリーン・ブラックさんが変わらず気合いの入った感じでお元気そうなのはなによりでした。

それからシャム69のジミー・パーシーさんはマジで良い奴だった事にびっくり。

そして最も重要なのは、Xray Spexの動いてるのを見られたこと。あっという間に持って行かれて、すぐにAmazonで注文をした。素晴らしい。当時ノーマークだったこれを買うきっかけを得ただけでも映画館に足を運んだカイがあるものだ、と強弁しておこう。

 

 

 

 

追記2

ジョー・ストラマーについては、他の(パンクロック)ミュージシャンから「あいつは労働者階級じゃねえ、ミドルクラスだ。本当のことは何も判っちゃいねえんだ」的な批判を受けていたという記憶がある。80年代は音楽雑誌をちゃんと読んでいたので覚えているのだ。

ということで、この気にちゃんと調べてみようとWikipediaの力にすがることにする。

 

まずご本人の記事。

en.wikipedia.org

 

お父さんは以下のごとし。MBEももらっている。

His British father, Ronald Ralph Mellor MBE (1916–1984), was a clerical officer—later attaining the rank of second secretary—in the foreign service

 

 

二等書記官というのがどういうものなのかは以下のとおり。

en.wikipedia.org

The distinction between managers and officers is not necessarily as apparent. Senior officers (such as first and second secretaries) often manage junior diplomats and locally hired staff.

 とあるので、任地によってはOfficerではなくManagerとして活動することもあるポジション。なるほど、MBEはもらえなくもない感じである。

 

出身の学校はここ。

en.wikipedia.orgおぼっちゃん学校(private school)だ。

 

 

では、こういう人出自の人は、UKではどの社会階層に属するのか。

そのものズバリのエントリがちゃんとある。

en.wikipedia.org

なかなか面白いエントリで、巷間いわれる「Middleも三段階あって...」というのは、

Informal classifications and stereotypes

なのだと言うことも判ったりする。

その「Informal classifications and stereotypes」によれば、Middleの上ことUpper middleの壁は想像していた以上に高い。収入もそうだけど、生まれが効いてくるのだね。ここは完全に誤解していた。Upperは生まれの問題、Middleは仕事の問題と大まかな区分があるのだろうと思い込んでいたのだけど、どうやらそれは非UK人の勘違いのようだ。

ご両親の出自に特段のものは無いようなので(あれば書かれているだろう)、Middle middle classというところだろうか。一つ下のLower middleにはun-skilledという属性指定もあるようだし、Middle middleで間違いないだろう。

ということで、どうかんがえてもWorking classではない。オレたちのことは判らないぜ、と言われるのも故無きことではないのだ(そのUs and themっぷりにげんなりするのは別儀として)。

 

こういう逆スティグマ(いや、彼の世界観からすると順方向にスティグマなのかな?)が彼の人生行路に影響を与えたのだろうなと想像はするが*6、しかし死後18年もたって、死体を担ぎ挙げられたりするとは思ってもなかっただろう。

もちろん死者は好悪を語らない。まあ、RIPということだ。

 

 

 

*1:ジョー・ストラマーについて死語語られる事のほとんどが、誠実だったとか、素敵な奴だったの類いだというのはどうだろうか。最高だった、もっと聞きたかったとは誰も言わなかった。もう一度スゴイのを出してくれるのを待ってたのに、すらなかった。それって現役音楽家の死なのか、と思ったのを強く覚えている。

*2:Rock Against Racism

*3:National Front

*4:まあ、それがトレイラーというものだのだけど

*5:詩人と書いてクズと読む、という人が出てくるだけで点が甘くなるという個人的なバイアスをさっ引いても、良い作品。

*6:もちろんNFに入っていた兄の自殺はもちろんだが