all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

10/7 平成30年住宅・土地統計調査 インターネット回答編

平成30年住宅・土地統計調査に回答をした。

 

どんな調査なのかというのはコチラから。

www.stat.go.jp

 

善良な市民の一人として、国の発展にも、その礎となる各種統計調査にも出来る範囲で貢献したいと考えてはいるが、それと同時に自分の個人情報の保全についても大いに気にしている。そして個人情報の扱いにおいては、適切なセキュリティを講じたWEBサイトからダイレクトに情報を投入する方が、人手を介するよりも大いに安心・安全だと考えている。

 

封印しているとはいえ極めてデリケートな情報を調査員に手渡すなんて。

 

幸い今回もインターネット経由のパスがあったので、非常に快適なだけではなく、安心に回答ができた。もし回答方法が書面のみだったとしたら...、多分大嘘をついていただろう。もう一度書くけど、封印しているとはいえ極めてデリケートな情報を調査員に手渡すなんて。

(つまり手書き時代の各種調査のときにはXXXXだった訳です...。相済みません)

 

 

 

さて、そんな便利で安心なインターネット経由の回答、どのくらいの人が利用しているのかが気になって、根拠となる数字を調べてみた。

平成27年国勢調査でのインターネット回答率というのが下記のWEBから見ることができる。このデータが規模、新しさから最もリアルに近いんじゃないだろうか。

 

www.stat.go.jp

市町村別の利用率を見てみる。県庁所在地などが比較的高いが、それでも40%強で50%超えは極めてまれ。ただし田舎が一律低いというわけでもない。なるほどと思うのが23区内の異様な低さ。なぜだろう?年寄りばっかり居そうな目黒区が28.8%と低いのはまあそうかもと思いつつ、しかし世田谷区が18.8%なのは理解できない。「市民」ばっかり住んでそうなところなのに(偏見だ)。

 

...そうか、これ出来損ないの資料だ。

利用率の定義は、地域内の世帯数のうち、何件がインターネットで回答したか割合だ。つまり有効回答数を繰り込まないとホントのことが判らないじゃないか。

そして地域ごとの有効回答数はどこにも提示されていない。なんという欺瞞。世田谷区民はインターネットが使えないのじゃなくて、国勢調査に回答したくない人が多いのだね。なるほど、権利ばかり主張する「市民」が多そうだという偏見と一致するじゃないか。

 

ということで、国勢調査のインターネット利用率をもとに、ネット回答への移行率を見積もろうというのは精度が出なさそう。日本国の社会の一員として「日本国における常識の変化」というものを知りたく思う故、もうちょっと使える数字が出てきて欲しいのだが。行政はちゃんと分析してて黙っているだけなのかな?それとも気にしてないのかな?どうなんだろ。

 

ということで、今回は明確なオチはなし(世田谷に対する心証は強化されたけど)。

人間よりもネットを信じる! という常識への移行がどうなっているのか・どうなっていくのかは今後も要静観ということで。

 

 

 

追記

今回の住宅・土地統計調査の調査方法を上記URLから引用する(赤字+下線は筆者)。

       調査の方法

(1) 調査の流れ

 調査は、総務省統計局を主管部局とし、総務大臣都道府県-市区町村-指導員-調査員-調査世帯の流れにより実施します。

(2) 調査の方法

ア  調査は調査員、調査員の事務を一部行う指導員及び調査員事務を受託した事業者
 (以下「調査員等」という。)が下記のとおり実施します。

  • 調査員等は、担当する調査区内の調査対象世帯(以下「世帯」という。)にインターネット回答用の調査書類を世帯の郵便受けに入れる等して配布します。世帯は9月15日(土曜日)~10月8日(月曜日)の期間にインターネット回答を行います。
  • 9月中旬頃にインターネット回答のあった世帯を特定し、9月下旬に回答のなかった世帯に対し、調査員等が世帯を訪問し、紙の調査書類一式を配布します。世帯はインターネットによる回答、記入した調査票を調査員等に提出する方法及び郵送により提出する方法により回答を行います。
  • 調査員等が建物の外観を確認したり、世帯や建物の管理者に確認するなどして、建物調査票を作成際います。

イ  調査票は、調査単位区ごとに、甲又は乙のいずれか一方のみを配布します。
 調査単位区の甲・乙の割り振りは、全国平均で6対1となるように行いました。

 

ワタシは由緒正しいプログラマとして、締め切り駆動で諸事をこなしており、それは本調査においても例外ではなく、締め切りである10/8の一日前の本日において回答をしたのだった。

気になったのは、締め切り前にもかかわらず調査員がわざわざ家に訪れて、インターネットでやりますか、紙でやりますか、どっちにせよ宜しくお願いします、と督促をしていった事だ。奇妙なことであるなあ、市町村単位の取り仕切りのできが悪いのかしらん、と思っていたのだけど、今日、WEBで情報を見て納得がいった。大本の業務発注仕様から頭が悪いのですね(上掲下線+赤字部分)。

なんだろ、この如何にもバグを作ってくださいと言わんばかりの曖昧さ。人が無駄に動くことも辞さない杜撰さ。

 

インターネット経由の回答をどう扱うか、その芯の部分ができてないのだなあと思いましたことですよ。みんなで楽になろうという気分が全くありませんもの。

してみると、本編の終わりに、

行政はちゃんと分析してて黙っているだけなのかな?それとも気にしてないのかな?どうなんだろ。

と自問してみたけど、どうやら答えは明らかっぽい感じ。

昏いことです。

10/4 TYO or HND

一泊二日の出張の帰りで現在HNDのさくらラウンジ。

席で傍若無人に電話をしているマダームがいたのだが、スタッフが音もなく現れて、

「マダーム、お電話はあちらでお願いします」的な身振りをして収めてしまった。

スムーズかつストレスフリーな、極めて快適な世界。

 

そうだよ、こういうのだよ、出張帰りの疲れ切った心が求めているのは。

JRじゃこうは行かない。そもそもラウンジ無いしね。辛いとわかってる出張は、飛行機(そして、できればシートも良いの)に限るなあ。ホントに。

でもBGMがいかにもなカクテルラウンジジャズなのは勘弁してほしい。もっと意味を取り払った音にしてくれないものか。

 

ところでゲンナリするほど小松、羽田間に乗っておきながら、つまり羽田の略称をあれほど目にしておきながら、今だに気をぬくと羽田の略称がTYOであるような気がするのは何故だろう。TYOからHNDに変わったのは成田が出来た時なのだから、つまり頻回なビジネストリップの習慣ができる遥か昔だ。何かの刷り込みがくっついて取れなくなってしまったのだろうか。

いずれにせよ記憶のデバッグは難しい。羽田がTYOであった世界からドリフトしてきたような気分で残りの人生を過ごすのだなあ。

10/1 地方紙の面白さ

地方紙の面白さは、その地方の記事にある。

と言っても、生活に密着した情報が入ってくるなあ、などという事ではなくて(新聞社自体はそういう宣伝をしているのだけど)、自分が知っている別ルートの情報とクロスチェックを行うことが出来るあたりにある。

一致していれば「はあ、なるほど」だし、そうで無いときにはどこかに誰かの意図が存在するヒントになる。ポリティクスや謀略を愛でる楽しみは、別に全国紙などでなくても十分に楽しめるのである。

 

ということで、最近面白かったネタを二つ記録に残しておく。2018/9/28は北國新聞の当たり日なのであった。

 

1.「新幹線効果一巡」

(2018/9/28付けの北國新聞3面より引用)

[見出し]

新幹線効果一巡 ピーク時55件 今年度35件

学会誘致伸び悩み

補助や旅行PRでてこ入れー県

...中略...

 

[本文引用]

各地で学術大会や国際会議を手掛ける「日本コンベンションサービス」(東京)によると、石川県はイベント会場や宿泊施設が金沢市中心部に集まっていることから、学会の分科会などを複数の施設で分散開催することに適しているという。

...中略...

 県の担当者は「学会のキーマンに金沢のいい印象を持ってもらうことで、さまざまな規模の学会を誘致したい」と話した。

これだけ読むと、そうなんだ、県は頑張ってね、という気持ちになる。

しかし、別の所から得ている情報(旅行代理店を含む複数ソース)によれば、

  • 金沢に学会が呼べないのは、会場が無いから。
  • 参加者からすると施設を分散で行うというのは面倒なだけ。参加者が迷うという問題が少なからず発生している。
  • 大規模学会だとバンケットを行う場所すらない。

なのだそうで、金沢の印象が良いとか悪いとかではないとの事。

さて、どこがディスインフォメーションをしているのでしょう。県、JCS、それとも?

こういうのはワクワクする。要静観。

 

 

2.「新幹線効果一巡」

(2018/9/28付けの北國新聞5面より引用)

[見出し]

 近江町市場に翻訳アプリ

外国人客に活用、混雑回避

こっちは長いのでざっくりまとめる。

  • 金沢市の近江町市場で訪日外国人の接客向けに、NICTが作ったボイストラを使うことになった。

    voicetra.nict.go.jp

  • これは北陸総合通信局の勧めで行われたもので、酒店、呉服店の二店で導入。
  • ボイストラは2020年までは無償で利用できる。

これも、記事だけ読むと、そうなんだー便利になるといいねー、的な気持ちになる。

しかし、別の情報を知っていると全然違った風に見えてくる。

  1. ボイストラが無償であるために、翻訳アプリのビジネスに参入しづらいという状況がある。NICT自身もサードパーティーの商用利用を想定しているのだが(

    http://voicetra.nict.go.jp/contact.html)、それをボイストラ自身の無償版が阻んでいるのである。

  2. 総務相自身がNICTの成果物を使ったビジネスが立ち上がることを強く求めている。

  3. 通常この手の話は、地域を単位に補助金をつけて然るべく行う(ところが本件は対象が二店舗のみだし、調査だの、実証だのといったキーワードが誌面に現れていない)。

本件は、①総務省の中にも別のラインがあって有償化を妨げようとする動きがあるのか、それとも②各地方の通信局はもともと勝手に動くものなのか、はたまた③担当職員とお店の個人的な付き合いを新聞がフレームアップしたのか、様々な取り方が出来るが、何しろオリンピックめがけて多種多様がプレーヤーが入り乱れてビジネスの準備を進めている現況において、耳目を集める一石であったのは間違いない。「何だ、こりゃ?!」的な。

こんど東京に行って答え合わせをしてこようと思いましたですよ。

 

 

というように、地方紙の地方記事には面白さがあふれている訳です。

...だから出社がゆっくりになると言っている訳では無いので念のため。

 

9/26 永続敗戦論

amazonがしつこく勧めてくるので、今更ながらに白井聡の永続敗戦論を読んでみた。

 

たとえはTPPについて筆者は

そしてここでも、問題は「アメリカが悪い」ことではない。なぜなら、われわれはモンサントがどのような企業であるのか、十分に知ることができるからだ。軽自動車の廃止にせよ、遺伝子組み換え種子の大々的導入にせよ、米国の国益追求がそれを押し通そうと命じるのは、当然である。問題は、それを進んで受け入れ、あまつさえ積極的に手引きしようとする知的にも道義的にも低劣な人々がいること、そして彼らが指導的地位を占めていることにほかならない。

(本書、P135より引用。強調、下線はワタシ)

などと綴ったりする。こんなふうに、なにゆえにその判断がなされたのかという整理無しにいきなり「知的にも道義的にも低劣な人々がいる」と書いてしまう類いの粗雑さが本書の至るところに横溢している。

 

そのように丹念に積み上げた恣意的な情報や読み筋を土台として構築されるイメージの建造物が「永続敗戦」だ。そしてイメージでしかない「永続敗戦」が事実であるかのように、それを元に現実を説明し始めるところに至って、読み手のフラストレーションは閾値を超えることになる(だから一ヶ月ぶりにBLOGを書いた)。

 

百歩ゆずってイメージではなく、仮説なのだとしよう。しかし証明も済んでない仮説をセオリーとして使うってのはどうなのだろう。

「XXXXの観点からすると、ZZZZはYYYYと説明することができ、それは他のLLLLの事象とも極めて親和性が高い」とか、専門職としてトレーニングを受けていれば、そういう文章を書くのが礼儀だ(職業倫理は大切だよ)。では、なぜそうしなかったのか。できなかったか、それともする気がなかったのか。

読み手の結論としては、筆者の中では「永続敗戦」が事実だというところから始まっているのだろうと思われる。本書のエピローグと後書きに、拭いがたいその痕跡をみる。

まとめれば、本書は職業を学者とする人が書いた、詩人の仕事である。ショックレーの優生学ならまだしも、本業に近い領域で詩人の仕事をするというのは極めてたちが悪い。眉につばつけて読まねばならぬ本を薦めてくれるなよ、amazon...。

 

 

 

追記

  • ネトウヨというものがいるのなら、きっとそれは大いなるモノとの合一を求める渇望の表れだろう。
  • パヨク(それともリベかな?)というものがいるのなら、きっとそれは他人と違う個人でありたいという渇望の表れだろう。

この一ヶ月の夏バテ回復期間にネットのゴミを大量にあさってて、ネトウヨ、パヨ・リベについては上記のような心象を持つにいたりました。論証はおいおいだけど、どちらも承認欲求の表出の一形態というところ。パヨ・リベも? おそらく、YES。他人と違う個人でありたいと願いつつ、同じクラスタの人たちからの 連帯 を強く求めるというのが一つの根拠。

とかなんとか、政治活動(は大げさだけど)の行為の前に、それに参画する個人の心性や背景というものがあるはずなんだけど、最近そういうのって忘れられがち。永続敗戦論にむかっときた一つに、歴史的事実を取り上げつつ、人における同時代性を無視した記載を繰り広げている気持ち悪さがあった。ちょうどフロムを読み直したばかりだったので、余計に目に付いたのかも知れないけど。

あ、これは加藤陽子の「戦争まで」を読んだときの気持ちと一緒だ。そうか、そういう目線か。そりゃいらつくわ。

 

そしていつものごとく、明後日な方向に着地して本稿は終わる。

 

どうしてamazonが永続敗戦論を勧めてきたか、だ。

リハビリ中のネット探訪は、ブラウザをプライベートモードにしてやってたつもりだったんだけど、どこかでノーマルモードで見てた時があったのかねえ。それがamazonに嗅ぎつけられて、永続敗戦論のご推薦と相成ったのかねえ。だんだんそんな気がしてきた。

 

そういう事のほうがよっぽど怖いし、切実な課題だよ、と言い切ってしまうのはどうかと思いつつ、しかしそれが気になって仕方がないというリアルを無視するわけにもいかない。

そういうのが2018年なのだなあ、と記して本日は終わり。

じゃ、会社行くか。

8/28 1年前と何も変わっていない事に感心する

昨年を振り返ろうと(そのためのBLOGです)、去年のエントリを読み直していたら、7/11のところで既視感が...。

 

石破茂さんに関する所感をまとめたエントリが、今年の8月の政治状況(あれを政治状況というのはお寒いですが)にそのまんま適用可能な事に感心しました。

あ、自分に感心したのではなくて、何も変わらない石破茂さんにです。

 

 

去年のこのインタビューに愕然として、

business.nikkeibp.co.jp

ブツブツ所感を述べたエントリがコレです。

septiembreokbj.hatenablog.com

 

そして今年。

この8月においても、安倍晋三さんと石破茂さんは、遺恨の一点を除いて、政治的には全く交錯しないままそれぞれの論理を展開しています。挑戦者というものは、現在王者のところに上がっていって殴り合いするという一点において挑戦者たり得るのですが、そういうのがきっと全然判んない人なのでしょう。候補者としては平等とか思ってるのかな。勝ち負けという事が判んない人なのですね。

 

つまり、去年と全く変わっていません。何も準備をしていないということです。すなわち、1年分みんなからおいて行かれているということです。変わらないということは退歩なのです。

しかし石破茂さんは、正しいことには進歩も、退歩もない、とか言い出しそうで、それもげんなりします。そういう噛み合わなさに、周囲の人はイライラしてるんじゃないかと心配してしまいます。例えば安倍晋三さんとか。

 

ともあれ、米中角逐の熱い夏のなかで、そういうプアな政治状況をやってられる日本というのはアレです。

そういう時に脳裏に浮かぶのがこの一節。

そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

ただし、これは

政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

と続くのだけど。

うむむ。

 

夏は過ぎゆく。まだ暑いけどね。

8/21 宝井琴鶴

こないだの土曜に、講談師神田京子さんの怪談の会に行ってきた。ナマで講談を聞くのは初めてで、どこで拍手を入れるのか戸惑ったりしつつも(※)楽しいひとときを持たせていただきました。

※ コールアンドレスポンスのレスポンスが出来ないってのは、ここがコールだと確信が持てないのが原因なのですな。コールに相当する部分の抽出は、やはり研鑽がいるのですなと思いましたことよ。

 

さて講談。ナマで聞いたのは初めてだとして、ナマじゃ無ければあるのかいと問われれば、無いことはないと答えることになる。ただし正調講談じゃない。

NHK FMが80年代にやってた「ロック講談」というのがある。タイトル通りのそのまんまで、ロック界の伝説敵アーティストの人生を講談で語りつつ、途中に曲を挟むというフォーマットだ。それを聞いていた。

何がスゴいって、第一回ジミヘン、第二回ジャニス・ジョップリン、第三回ジム・モリソン(ドアーズじゃなくて、あくまでジム個人)の、例の27クラブ - Wikipedia創立者である「三人のJ」からのスタートだ。面白くないはずがない。なるほど、講談ってのは悪くない、ネタとかみ合うならアリのスタイルだな、と思ってた。

 

って、はや30年以上経ってましたか!

そういう記憶の扉がこの前の土曜に開いたので、そのメモを残しておく。

 

まず語ってた人。宝井キンカクという音は覚えていたが(さすがに宝井一門というのがあるのは知ってる)、何分ラジオなのでどんな漢字を当てるのかが判らないままだった。良い機会なので調べてみる。

「宝井きんかく」でググると、第一に出てくるのがこれだ。

宝井馬琴(タカライバキン)とは - コトバンク

(以下、上記URLから引用)

6代(1935―2015)本名山梨務。静岡県出身。1959年(昭和34)先代の門に入り、琴調となる。1966年4代琴鶴(きんかく)を襲名、1987年6代目を襲名。修羅場(ひらば)の普及に尽力し、2代松林伯円の顕彰につとめ、伯円忌を中心となって営んだ。延広真治

なるほど、6代目の宝井馬琴は1966-1987の期間、琴鶴(きんかく)と名乗ってらしたのだ。

コレだ。アタシが聞いてたロック講談は、後の6代目の宝井馬琴が読んでたのだ(※)。宝井の三名跡の一つを継いだ人なのだ、なるほどスゴいと思わされた訳だと30数年越しの納得をする。

Category:講談師の名跡 - Wikipedia

※ 講談では「語る」ことを「読む」というのですね。今回、一つ賢くなりました。

 

そしてロック講談そのものを今聞くことはできるのか?

ググってみようじゃないか、ロック講談。

 

やあ、いっぱい出てきますな。どうもコチラの方がテープ起こしでYoutubeに上げてくださったようです。ありがたい事です。

ameblo.jp原点回帰云々はさておき、曲ではなくてミュージシャンやバンドに焦点を当てて語られるというのが、当時とても新鮮だったのは間違いないです。80年代に入ったすぐというのは、まだ60年代の残照も、70年代の余熱も残っているころで、当時のワタシのようなお子さんでも、少し前には神話の時代があったのだという確信を持ってましたよ。

 

しかし喜び勇んでYoutubeに行ってみれば...一番聞きたかった第一回ジミヘンの巻は、SMEからの著作権Vaiolation報告によりBanされておりました。うーん、そこまでせねばならんかねSME。涙をのんで、ジャニスとジム・モリソンでしのいでおく。いや、この二つが悪かったということじゃないんだけど、第一回があまりにも強烈だった、ような気がするので。

 

 

とまあ、思わぬところで記憶の扉が開き、刺さっていた曖昧さのトゲも抜け、そして中高年らしい追憶に浸ったのでした。すばらしい、段々と老人っぽさを獲得しつつあるな。

 

でも、講談は面白いものだし、ナマでみるのはなお面白いというのは判った。今度どこかの寄席に行ってみようかね。

8/18 マータイム、マータイム、マータイム

ちょっと鮮度は下がっちゃったけど、やっぱり記録には残しておこう。日本の政治屋ってこんなばかりなのね。

 

 

マータイム制度の導入について | 船田 元 公式WEBSITE

 

(上掲WEBSITEより引用)

この度検討が開始されたきっかけは、2020年夏の東京オリパラでの暑さ対策である。開催が予定されている7月下旬から8月上旬は、一年で最も暑い時期であり、競技する選手や観客の負担を軽減するためであり、やむを得ない措置だろう。ただ2019、20年度に限るとの提案はいただけない。国民全体の生活パターンに影響を与える制度だから、一時しのぎではなく、腰を据えて恒久的な制度として考えるべきではないか。

 

まず驚くのは、

開催が予定されている7月下旬から8月上旬は、一年で最も暑い時期であり、競技する選手や観客の負担を軽減するためであり、やむを得ない措置だろう。

と、すでにサマータイム実施が既定路線であるがごとき書きっぷり。非常に悪辣ですよね。そもそもオリンピックがごときのためにどれほどのコストを負担するのか、という合意形成も済んでいないのに、そんな架空の前提を元にサマータイムの恒久化を論じていくというのは、本当に頭が悪いのだなあという事をひしひしと感じさせる。頭が悪い?そう、頭が悪い。

こんなレベルの論理構成に諸人がげんなりしないと思える、もしくは思われたとしても無視し得る、という程度の想像力しか有していないという点において、致命的に頭が悪いと断ずることができる。英語でいうところのnaiveだ。森喜朗馳浩という暗愚の系譜が当地にもあるんだけど、それとはまた違った頭の悪さに感銘を受ける。

 

そしてそれはもちろん、ほんの触りだ。

(上掲WEBSITEより引用)

コンピュータなどの時間設定の変更は、律儀で真面目な国民ならば十分乗り切れるはずだ。余暇時間の過ごし方が、エネルギー消費の削減につながるような工夫も必要だ。一方、睡眠不足などによる健康障害問題は、むしろ個人の心構えにより、多くは解消されるはずだ。

コンピュータなどの時間設定の変更は、律儀で真面目な国民ならば十分乗り切れるはずだ。

をみて呆れないIT業界関係者はいない。タイマーを手で変えるみたいなレベルでシステム運用している牧歌的な時代は、すでに20世紀のうちに終わってるのだけど、もしかして栃木県にはそういったレベルのシステムが存在しないのだろうか?

そして、頭の悪い政治屋が得意とする精神論はまだまだ続く。

睡眠不足などによる健康障害問題は、むしろ個人の心構えにより、多くは解消されるはずだ。

個人の心構えに期待するのは構わないけど、個人がそれをやるモチベーションはどこから生まれいずるのか。その記述がこの小論にはいっさいない。

いや、もしかしたら冒頭にある

(上掲WEBSITEより引用)

太陽の光を効率的に利用して活動し、明るいうちに帰宅して、長く余暇を楽しむことが出来る。また電力消費を削減する効果があるとされている。

サマータイムの提供する価値の定義で、その実現のために個人は心構えによって対応しなさい、と言う論旨なのだろうか?

 

すげーな。「とされている」という程度の根拠しかない価値定義に向かって、全国民にワークを強いるのか。しかも、そのワークのコストは超過少見積もりと来ている。いくら自分のWEBSITEだからって手を抜きすぎなんじゃないかしらん。

 

そして締めくくりがこれだ。

 

(上掲WEBSITEより引用)

明らかに地球温暖化を原因とする異常気象が、世界を震撼させている。サマータイム制度が少しでも温暖化防止につながるのであれば、我々は躊躇することなく、この新制度に挑戦すべきではないのだろうか。

 

はい、また来ました。仮定法です。

少しでも温暖化防止につながるのであれば

そうですね、総投入コストを上回るゲインがあるなら考えてみても良いかもしれませんね。どうすればそれが判るのか、その為にはどんな枠組みが必要なのか、そしてそれを検討した結果をどうやって共有するのか、そういう所に腐心するのが政治家というものだと思うのだけど、そういう誠実さはまったく存在していませんね。

 

 

まとめます。

ちょっと眺めただけで誰もが吹き出すようなレベルの作文を自分のWEBSITEに載せてしまう心性は、ホントにnaiveです。そういうnaiveさは政治家には不要どころか害悪です。観測気球を上げるんなら、もっと大きなメディアでおやんなさい。

そして本件のタイトルが「マータイム制度の...」となっているのが引っかかっています。船田元事務所では誰も確認しないの?それとも検索されて炎上されるのを恐れているの?

 

もし後者なのだとしたら...。