all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

11/2 暗黒期レトロスペクティブ : Loving The Alien (1983 – 1988)

年に一度のDavid Bowieからの贈り物、2015年からスタートした年代別ボックスセットのリリースが今年も行われた。

 

www.davidbowie.com

第四弾である今回は、暗黒期である1983-1988の棚卸し、アルバム的にはLet's DanceからNever Let Me Downまで、一作ごとに「コレジャナイ」感が高まっていくという実に切ない時期の全マテリアルのボックス化だ。これの宣伝を目にするだけで、アルバムが出るたびにがっくりきていた当時の気持ちが甦ってきた。ベルリン三部作をもう一度とは言わないけど、さすがにこれは無いのでは、と何度思ったことか。

 

とはいえ、ファンである以上はボックスセットフルコンプは免れないところであって、暗黒期だからといってえり好みは言ってられない。

予約しました。

届きました。

聴きたおしました。

 

 

Bowie自身による封印から30年(※)、こちらのウラミもずいぶん風化しており、ようやくこの時期のBowieを自分なりに整理することができたよ! というのが本日のエントリ。ただし、いつものごとく書いていると何万字も費やしてしまいそうなので(ファンの愛とはそのようなものです)、サバサバと、乱暴に、思考の記録を残す事にする。

ティン・マシーン - Wikipediaにあるとおり、1988年にTin Machineを結成することによって"Daviw Bowie"を封印しようとする。そこから数えて早30年なのである。

 

(結論)

  • Bowieは「ただの天才」である。
    素晴らしい曲を書き、最高のパフォーマンスを行うことができるだけではなく、"David Bowie"というメタキャラクター(※)を運用して、それらをアートフォームに変容させることすらやってのける。
    ワタシを含めて、ファンはみんなそう思っている(ホントかな?)、彼は、最高だ。
    ※メタルールを自ら生成し、それによって駆動されるアーティストと言い換えてもよい。

  • でも「ただの天才」なので、ordinary peopleが求めるものが基本的には文化的消費財でしかない事、自分が大衆の消費財に徹しきれない事を認められない。
    少なくとも、この時期はまだ認めることができない(できていない)。
    なお、消費財に徹したくない、ではない事に注意しよう。

  • この暗黒期は、望外の大成功から、その認識の矛盾がBowieに突きつけられるまでの5年間とみる。正にRaise and fall of な Five Years!
    その自己矛盾に耐えきれず、封印が行われる事になる。

  • Let's Danceの成功に端を発する混乱と、自己認識の旅は、1993年のBlack Tie Whie Noise発表までの10年を一つのつながりとして見るべき。
    そして1993年にカムバックしたとき、Bowieは上記の問題構造を理解していたと思われる。何となれば、以後の作品において、Never Let Me Downのような混乱は見受けられないからだ(Never Let Me Downにおける混乱については後述)。隠遁の五年間のうちに、David Bowieは”David Bowie”との再統合を果たしたのだと見る。故に以後の彼は、ordinary peopleに向けての”David Bowie"の押し売りをしていない。

 

(ブレイクダウン)

  • 「売れる事と、"David Bowie"への理解と受容を深める事の両立」が、Bowieの基本的な活動姿勢である。
    「棺を蓋いて事定まる」 David JonesがDavid Bowieになってからの全活動を、この曖昧な時期を除いて俯瞰すると、「売れる事と、”David Bowie”への理解と受容を深める事の両立」を一貫して追い求める姿勢が浮かび上がってくる。彼は売れると同時に愛されたがっていたのだ。しかも"David Bowie"の理解と受容を求める態度は、時間軸方向に単調増加している。とすれば、よほどの根拠が無い限り、この暗黒期においても同じ方針が堅持されていたと考えるのが健全だ。

  • Let's Danceは、キャリア上の特異点でしかない。
    と書くと多くのファンを敵に回しそうだけど、やはりあれは特殊な出来事と思うべきで、一回きりの(一括きりしか使えない)コンセプトと方法論で獲得したNo.1(アメリカでは最高4位だけど)だ。
    プロデューサーのナイル・ロジャースはNo.1はNo.1だと言うとだろうけど(アメリカでは最高4位だけど)、”David Bowie”が受け入れられたのではなくて、あくまでも作品が取ったNo.1(アメリカでは最高4位だけど)だということが重要なのだ。

  • Tonightは、Let's Danceの成功によって増加したファン(="David Bowie"を受容した人々)の数を過大評価する中で作られた。
    このときBowieは、"David Bowie"がようやくacceptされたと思ったのではないか?
    Oh No! Bowieがそんな思い上がりからの間違いをするなんて!
    でも、Tonight全編を包んでいるぬるさは、ついに愛を得たと思った男の幸福感によるものなのではないか?佳曲、Loving The Alienは、実は"David Bowie"を愛することについての歌だったりしないか。
    その幸せぼけは、1986年のAbsolute Beginnersまで続く。

  • Never Let Me Downは、愛されたはずの自分のアルバム、Tonightのセールスが想定を下回った事に対する悲鳴だ。
    この暗黒期に本当の意味でダメなのはNever Let Me Downしかない。Bowieはいつも通り「売れる事と、"David Bowie"への理解と受容を深める事」を希求しつつも、そのバランスは「売れる事」に傾いていたと見る。「"David Bowie"は、それでも万人にacceptされるはずだ」という希望的観測の裏付けは、数でなければならないから。
    しかも、不幸なことにNever Let Me Downの各楽曲は比較的ストレートなものであり、やれる事と言えば "調整" しかなかった。その結果、味方である筈のファン(と批評家)が、安易、陳腐、凡庸と罵るアルバムができあがる。そこに見られるのは、愛されたはずなのに数字に出てこない、そんな筈はない、という混乱だ。「"David Bowie"という原液の希釈率さえ適切に調整すれば、もう一度なんとかなる筈」という悲鳴は、しかしファンの大反発を招き、そして消費者からもスルーされる。

    ...はい、ここは完全にファンの妄想です。でも、そうじゃないと歴史上の他の出来事(パーツ)が上手く図柄に収まらない。この時、Bowieが万人から愛される事について執着し、その不可能性から混乱していた、という構造を想定しないとつじつまが合わないのです。

  • Glass Spiders Liveは、すさまじくダサいが、それはNever Let Me Downのプロモツアーという性格上致し方ないとBowieは割り切っていたのではないか。
    と同時に、そのツアーによる心労の蓄積が、結局はBowieに"David Bowie"の封印を選択させたのではないか。金のために意に染まない(ダサい)事を繰り返しているという自覚は、ある種の人々の心をむしばむ。Bowieも例外ではない、というより、Bowieにはより厳しかったと考える。ライブアルバムに収録されている観客の歓声のレベルは、明らかに低い。これは事実だろうか、それともシニックだろうか。
    そして、そこまでやっておきながら、Never Let Me Downの売り上げは失敗の烙印を押される。商業的な失敗とは絶対値であらわされるものではない。過去実績との比較による相対評価なのだ。Never Let Me Downは正しく失敗作だった。

  • 以上の結果としてBowieは"David Bowie"の封印を行うが、その時点では問題の構造を把握していなかったと見る。
    この封印は、単なる冷却期間であったのか、それとも”David Bowie"に対するBowieの自信の喪失であったのか。ワタシの見解は後者。でなければバンドのメンバーになろうとするものか。単なる冷却期間なら、休業で事足りるのだ。
    つまり、この時点のBowieは、自分を襲った問題の構造を理解していなかったと考える。

  • 1993年にBlack Tie White Noiseでカムバックしたときには、問題はすべて理解され、Bowieは”David Bowie"との再統合を果たしていた。
    どう聴いても、”David Bowie”の刻印がそこにはあった。このときアルバムを聴いたファンは、みんな"Bowie is back!"と思っていた。もちろんワタシも。
    チャート1位を獲得するが、チャートへの滞在期間は短い(11週)。つまり、待ち望んでいたファンが一気に押し寄せたということだ。以後のアルバムも、Bowieが出し、ファンが買う、という動きをしているのは後掲の「全アルバムのチャート動向」に詳しい。
    そしてDavid Bowieもそれを良しとしたのだと思う。以後も問題作はあるが(Earthling...)、基本的にはアートフォームの方向性に関する問題であって、"David Bowie"に関する危機は訪れていない。

 

 (Figure)

  • 全アルバムのチャート動向。暗黒期が異常なのであって、あとは基本的にファンが買っているのがわかる。

    www.officialcharts.com

  • 他のアーティストに比べると、間口が狭いことを示すFigure。金額をアルバムのリリース枚数で割って得られる数字が、そのアーティストの間口だ。Bowieは基本的にファンのものであることがわかる(逆に言えば、一般性を獲得できないということである)。

    最も売れたアーティスト一覧 - Wikipedia

    (蛇足)
    売り上げで偉さが決まる訳ではないのだけど、もしそうだとするとThe DoorsとB'zは同じくらい偉いということになる。そうか、これは驚きである。

 

(Fragment)

  • この暗黒期における最大の収穫はAbsolute Beginnersだったなあ。
    あんな脳天気な曲、世界に愛されているとでも思わなければ作れないし、歌えない。舞い上がっていたBowieにのみ作りうる名曲、それを聴くことができたのはLet's Danceとそれに続く混乱期のおかげだというのは皮肉だが、それでもファンは曲とパフォーマンスを言祝ぐべきだと思う。
    なお当時は、「こういうのも余技で軽々とやっちゃうなんて、やっぱ天才」と思っていたのだった。馬鹿だなあ、オレ。

  • あれほど憎んだ(!)Tonightにせよ、すでに諦めしかなかったNever Let Me Downにせよ、今冷静に聴き直せば、アルバムに収められている楽曲自体はいつものBowieクオリティだ。
    ボックスのタイトルであるLoving The Alienなんて最高じゃないか。

  • Never Let Me Down 2018 Remixは、同じアルバム素材からの成果物だと思えないくらい良い。
    このRemix盤をBowieのexcuseと見る。Bowie全集に何を入れるべきか、Bowieは意図に基づく指示をだしていった筈で(でなければBowieではない!)、新たに追加されたRemix版などはメッセージとして読み解くべきものなのだ。多分、こんな感じ。
    「おかしくなってきゃ、この位(のクオリティ)にはなるんです、あのときはどうかしてたんです、わかってください」
    実際のところ、このRemix盤が入っていなかったら、目からうろこは落ちなかったかもしれない。これが、考えるきっかけを与えてくれたのだ。

  • 「わかってもらえるさ」
    もしかしたらNever Let Me Downを作ったときには、Bowieの頭の中にも(http://j-lyric.net/artist/a001cbe/l011219.html)みたいな気持ちがあったのかも知れない。
    清志郎ブルースマンだから、いい曲を作って、歌っていれば、わかってもらえる日がくるのかもしれない(そして実際にその日はやって来た)。
    でもBowieは”David Bowie"なので、そういうふうにわかってもらえる日は来ない。その事が判ったというのが、1993年の復活劇の背景なのだ。
    と、ファンとしては妄想するものである。

 

これだけ素っ気なく書いても約5000文字。丁寧に書いたら、やっぱり数万文字だな。

 繰り返すけど、ファンの愛とはそのようなものなのです。

 

10/30 新メンバー登場(ネコ)

10/15時点で、庭にやってくるネッコメンバーは7名だった。

septiembreokbj.hatenablog.com

庭で確認されたネッコは以下のとおり。

  • シロネコ(メス。目つきが厳しい)
  • キジネコ×2(母子かな、セットで来る。両方ともメス。よく鳴く。娘は少しサバが入った感じ)
  • シャムが入ったようなタヌキネコ(オス)
  • シャムが入ったザッシュネコ(オス。目が赤い!)
  • シロネコ(オス。柄の悪い顔つき)
  • ヨモギネコ(オス。左目の目元にハナクソあり)

 

そこに更に新しいメンバーが登場!

  • シャムが入ったザッシュネコ(オス。目が青く、顔の真ん中が黒っぽい)
  • ヨモギネコ(メス。頭悪い...)

 

生きてるだけで大もうけ。庭にこんなにネッコが来てくれるなんて。

こっちも何が何やらになってきたので、申し訳ないけど名前をつけさせてもらった。その名前を以下に記録しておく。順番は最近の登場頻度。

 

  1. キジネコ:「マル」(メス。「ニョロ」の母っぽい)
    体が丸いところから。しなをつくり、こびをうるのだが、用事が済むとすぐ消える。プロっぽい(何の?)。第二号登場ネコ。最初はその色から「チャー」と読んでいたのだが、「ニョロ」の登場で、名前替えに。
    「マル」の登場で、お水のおねえさんに貢ぐ男の気持ちがちょっとわかったような気がしている。その報われなさに、燃え上がるのだ。

  2. キジネコ:「ニョロ」(メス。すこしサバ入り。「マル」の娘っぽい)
    当初はスリムでにょろっとした動作をしていたところから。最近は母子そっくりになりつつある。ただし母親とは異なり、愛想はよくなく、しかし用事が済んでも庭にじっとネコ座りをしている。何がしたいんだろう?ある日突然、母親のようになるのだろうか?見たいような、見たくないような。

  3. シロネコ:「シロッティーヌ」(メス。目つきが厳しい。「白太郎」の母っぽい)
    なぜ「ティーヌ」なのか、今となっては不明。第一号登場ネコ。こんなにメンバーが増えると思わなかったので、安易に 白+女性形 の名前に。
    最初は全然鳴かなかったのが、最近は鳴いてくれるように。でもスゴいしゃがれた声で、本人もその声を気にしていたのでは、と思うと大変にかわいい。

  4. シロネコ:「白太郎」(オス。「シロッティーヌ」の息子っぽい)
    柄の悪い顔つきは、シロッティーヌの目つきの悪さ+オスのごつさというところ。激レアキャラ。

  5. シャムが入ったザッシュネコ:「シャム太郎」(オス。目が赤い!)
    すごく人なつっこい。足に絡みつく、通称「足ネコ」を喜んでやってくれる、どこでもなでさせてくれる。すきあらば家に入ろうとする。

  6. シャムが入ったザッシュネコ:「シャム郎」(オス。目が青く、顔の真ん中が黒っぽい)
    最初は「シャム太郎」がカラーコンタクトを入れてきたのかと思った。もちろんそんな事は無く、別の人でした。「シャム太郎」同様に異常にフレンドリー。「足ネコ」はするわ、庭でおなかをみせて遊んでポーズをするわ、どこでもなでさせてくれるわ、すきあらば家に入ろうとするわ。

  7. ヨモギネコ:「天使ちゃん」(メス。頭悪い...)
    食べたばかりの餌を庭に何回か吐き戻してくれたり(なぜ吐くまで食べる...)、その直後におなかがすいたアクションをしたり、他のネコの邪魔をしたり、いろいろと問題行動をする人。「天使ちゃん」と呼んで辱めることにする。...伝わってるかな。

  8.  シャムが入ったようなタヌキネコ:「タヌキ」(オス)
    激レア。境界線のブロック塀の上に座っているところしか確認されていない。凡俗とは交わらずということか。徳の高いネコサマなのかも知れない。

  9. ヨモギネコ:「ハナちゃん」(オス。左目の目元にハナクソあり)
    激レア。二回見たのみ。当初は「ヨモギちゃん」だったのが、色かぶりの「天使ちゃん」の登場で、名前を変えることなった。


 

 サンルームの工事予定が前倒しにならないかと、祈る当ても無いのに祈ってみたくなる日々である。

そうすると、もっとご奉仕できるのだ!

 

追記

新メンバーを含めて、この9名のメンバー、すべて「さくらねこ」である。当家と同じく、次がない生なので、せめて安楽に過ごして欲しい。等という気持ちを言い訳に、ご奉仕に邁進することの充実感よ!

やはり、すでにして老後であるなあ、と思うものナリ。

10/16,17 出張記録 の名を借りた雑記

10/16から一泊二日で東京。もちろん仕事ですとも。

では仕事とは?職制上は高級参謀で、参謀らしく状況分析も、作戦計画も行うのだけど、それに加えて政治将校(政治委員)ぽい責務がある。今回の出張は、どちらかというとコミッサールとしてのもの。

いや、粛正は、ないよ?党の方針を部門責任者にご理解いただくというだけのことです。

 

そのような訳で、16日は7:48金沢発のかがやきで東京へ向かい、日中は粛々と仕事。夜に社内のお友達一名、会社卒業生のお友達一名の計三名で秋葉原で会食。

 

会食、そう書くと大げさだな。「会って、食う」という字面通りの意味である筈の会食、しかし然るべき格好をして、然るべき場所で、然るべきモノを食しているようなニュアンスを感じてしまうね。みなさん、もっと会食という言葉を気楽に使っていこうじゃありませんか、ワタクシもそうします。

 

とまれその三人での会食は、神田須田町はまつやの隣、自ら「トップ クオリティー オブ カリー」(※)と名乗るカレー店、トプカに久しぶりに行ってみようじゃないかということになっていた。しかし19時過ぎは時分時であって、やはり席を得ることあたわず。ダメ元ということであったので、気持ちを切り替えて次の当てに向かう。

※ホントだよ:コンセプト - トプカ

 

その途中、会社卒業生のSくんがシャオミの端末を歩道に投げつけて殻割をする。あれあれ、どうしたのか?君は中学生なのか?聞けば、最新のシャオミでは、root奪取を検知して文鎮化するファームが入っており、何がなんでも脱獄を許さないようになっているのだそうだ。人民の自由を抑圧する中国共産党、輝け(※)、だそうである。まあ、判らんでもないけどね、地面で割るのはどうやろか...。

※英語表記をし、ローマ字読みで、どうぞ。

 

結局色々あって、万世橋たもとの肉ビルへ。あれこれ積もった四方山話をするのが目的なので、地下の居酒屋へ。そこで殻割がなったシャオミを三人でまじまじと見つめ、ほとんどSoC一発、あとはメモリとバッテリーというシステム構成に、スマホビジネスが儲からなくなった理由を理解する。少なくともHWは、コモディティ化が完了してしまっているのだ。さて、どうするのかね、日本のHWベンダは。コモディティ化を逆手にとって、HWサブスクリプションの道に進むというのもアリなのではないかと外野は思うのだけど、企業固有の文化というか自己規定のしつこさというのは並々ならぬものがあるので、サブスクリプションに舵を切るのは無理かねえ。ところでHWサブスクリプションといえば、トヨタとバンク(※)の提携も、トヨタが自己変革できないと白旗を揚げたと見るべきで、ある意味トヨタ滅亡の第一歩じゃないのかねえ。

ソフトバンクのことを古参のITウオーリアーは、そう呼ぶ。

そのような辺りから、バイク(ワタシを除く二人はバイカーなので)、ねこ、その他いろいろについて色々はなす。

 

一軒目は適当な所で切りあげて、アキヨドのオーディオ階に向かう。この間購入したJBL4319(※)がどういう音なのかを二人に説明するためだ。アレコレ聞き比べをして、たしかに4319はよかやつである、というお言葉をいただく。顔つきは古典だけど、音はモダーンだね、と。そうなんすよ、JBLの見栄えと、古くさくない現代的な音の両立なんすよ。判ってもらえてうれしいっすよ。

※これがネコサマを室内に入れられないもう一つの理由。あのウーファーは爪とぎ欲をかき立てると思うんだ。でも、もし猫アレが収まったら入れちゃうかも知れないナ。

 

その後、オーディオ階を一回りして二軒目に突入。さらにどうでもいい話をして、11時前に解散。

ワタシの宿は浅草橋なので、総武線沿いに一駅歩き、チェックイン。浅草橋駅周辺に焼きトン屋が増えている事に気がついてちょっと驚く。あれ、そうだったかね?

 

 

翌17日はゆっくり起きて、浅草線で五反田まで出る。そこから目黒川沿いに東京のオフィスまで散歩をしていくのだ。

ということで五反田駅を出て、山手通り方向に桜田通りを歩いて行くと、橋を渡ったところで、TVの撮影クルーとおぼしき人たちが構図決めをあれこれやっている。なんだろう? と思った次の瞬間に、ああ海喜館で一仕事した地面師が捕まったと昨日遅くのニュースにでてたなあ、その続報のための画面取得だなあ、と了解が訪れる。

あるソフトの開発で目黒、五反田方面に缶詰になっていた90年代後半、その辺りはちょうど徒歩通勤路だった。その時ですら海喜館はすでに不思議な建物だった。それがいつ頃か閉業し、どうなるのだろうと思うでもなく思っていたら、去年いきなりの事件だ。それで様々な情報がネットを賑し、どういう経緯の建物だったかをようやく知る事ができた。そうか、地面師も捕まりましたか。

 

出社後はコミッサール業務を粛々と。にこやかに/建設的に。党の前進のために。

 

19:24東京駅発のかがやきで帰沢。ちょうどバスがあり、22:30には自宅。家人は仕事が忙しく、いまだ帰宅しておらず。少し飲んで、メモをまとめて先に就寝。0:30頃か。

 

 

 

10/15 グッバイ・ゴダール

日中は打ち合わせのため福井行。夕方金沢のオフィスに戻り、翌日からの出張の準備。それから某所で軽く喉を湿らせたのち、シネモンドで20:40から上映のグッバイゴダール鑑賞。

 

 

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ゴダールの真似は、普通であればゴダールごっことして酷評される事になるが、ゴダールを題材にした映画であれば演出ということで済んでしまうのだ(※)。ということで本作を乱暴にまとめれば、ゴダールをなぞるためにゴダールを再現する、またはゴダールを再現するためにゴダールをなぞるというアプローチでもって、ゴダールをスクリーンに定着させようとしていた映画であったと思う。
※「第四惑星の悪夢」は...アレは本歌取りということにしておきましょうかね。

 

ストーリーはゴダールの二番目の妻であった(※)アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説を基にしたものなのだけれど、そして監督は「ゴダールはテーマでもないし、伝記映画でもない。まぎれもないラブストーリーを描きたかった」と語っているのだけど、しかし一観客としては、「ゴダールが商業映画を捨てるに至ったのはなにゆえだったのか」という謎を巡る運動にしか見えないのだ。
※ところで、妻という言葉を綴ることは、まだ許されているのだったかしら?妻という漢字自体が差別を孕んでいるのだ、として辞書から削除されたのではなかったかしら?

 

それでも、最後のシークエンスで「簡単なことよね。政治か、映画か、どちらかを選んで」と映画のスタッフから問われたゴダールが「多数決に従うよ」と答えるところがなければ、まだしも質の悪いラブストーリーとして成り立ったのかもしれない。愛の破綻はラブストーリーの範疇にあるからね。
でも最後に描かれてしまう、多数決=政治を取ると答えなければならない頭の良さ(そうせねばならないと整理をつけてしまう頭の良さ)はラブストーリーを崩壊させる。執着を選ぶことができない人間を片側において、どうしてラブストーリーが成り立つものか。執着とは愛の別名なり。

 

本作の監督は嘘をついている。これは「ゴダールの解体」を巡る映画でしかない。

 

もちろんその「ゴダール」は本物のゴダールではなく、神話としてのゴダールなのかもしれない。しかし、その真実の度合いは問題ではない。ゴダールとして了解されているものが解体していくとしたら、それは情動によるものでもなければ、ましてアクシデンタルな出来事の集成でもなく、どこまでも「頭の良さ」という重さを個人が支えきれなくなるという重力縮退の過程でなければならないとの我々の思い込みを、この映画が余すところなく引き受けている事こそが重要だ。映画を撮る才能に満ちあふれていて、才気煥発、しかし冷笑家で口うるさく、嫉妬深く、物事を極端に捉え、現実を見ず、あと何だろう?、まあそのような個人であるジャン・リュック・ゴダールさんが、思考が発生させる重みを支えきれずに解体していくという過程が、我々をして「そんな気がするねえ、そうして商業映画を捨てたんだねえ」という感慨を抱かせるのである。


もちろんステイシー・マーティン演ずるところのアンヌ・ヴィアゼムスキーは一貫してチャーミングであり、

画面はスタイルのみならずゴダールへのオマージュにあふれており(例えば途中に出てくる南仏の海は、もしや気違いピエロでフェルディナンとマリアンヌが隠れ住む別荘のあたりではないのか?)、

子供の頃に知りたくて仕方なかった五月革命の再現はワタシの心をわくわくさせ、

でも結局のところ、この映画をドライブしていたのは、湧き上がる妄想に苛まれて至るところにヴィエトナムを見いださざるを得なくなってしまった男の言行であって、彼が自分を解体していく過程こそが、この映画を律する時間である。よって彼が解体を完了したときに映画は終わる。その観点からしても、「ゴダールの解体」が主題の映画であったと言わざるを得ない。

ちなみに、実際にゴダールアンヌ・ヴィアゼムスキーが法的に離婚を完了したのは東風の撮影から更に一年の後のことだ。東風の撮影とともにすべてが終わったというのは映画的な潤色でしかなく(自伝的小説になんと書かれていたのか調べなければならないが)、そのような創作が必要であったということも、主題を指し示す傍証とみるべきだろう。

 

 

という長い前説を経て、本作に関する感想を述べる。

最後の、東風撮影のシークエンスによって救われる映画。よかった、着地できて、つじつまがあって、という感じ。ラブストーリー? 知らねえな。それよりは解体であり、ループからの脱出だ。

ただし、そこに至るまでの所は相当につらい。席を立とうかな、と思ったりした瞬間もあった。

それを押しとどめたのは画面の力であって、映画の力は確実に高い。ただし主題が主題なので、きっと一般受けしないのだろうなあ、と思いましたことです。

 

しかし、どうやら本作はスマッシュヒットしているらしい...。

みんなトレイラーにだまされてるのか?

 

 

 

 

映画終了後、某所でちょっとだけ飲んで、それから帰宅。こういうところが、大きめの地方都市の中心部近傍に住んでいることのありがたさだ。映画をみて、酒をのんで、日付が変わっても、さらっと家に帰れるのだ。

 

帰宅後は歯を磨いて1:30に就寝。出張の荷造りは起きてからとする。

 

 

追記1

あ、グッバイ・ゴダールでもう一つ書き残しておかねばならない事が。

史実なのか、それとも創作なのかはさておき、夫婦に関する「ゴダール」の見解の表明に、ああそういえば昔の人だったよなあ、との感慨を抱いたのでした。60年代とは「ヴィエトナム」は気になっても、「女性」というものは未だ政治化されていなかった時代なのだ、というのがよく伝わってきました。

(これ以上は自粛)

 

 

追記2

上で、

もちろんステイシー・マーティン演ずるところのアンヌ・ヴィアゼムスキーは一貫してチャーミングであり、

と書いたけど、これはステイシー・マーティンという女優がよかったということではない。いや、女優としてよかった、と言えばいいか?

女性の顔を思い出して見分けることが壊滅的にだめで、しかも年々ひどくなってきているワタシにおいて、チャーミングとは

  映画を見続けるのに必要な動作(表情を含む)を画面上に残している

との認識を生起したということであって、実際に顔がどうだったかなどは見るそばから消えていく。何らかの障害なのかと思うことすらある、爽快な消えっぷりなのだ。

 

ステイシー・マーティンニンフォマニアックに出ていたのだという。Vol1,Vol2ともに同じくシネモンドで観たはずなのだけれども、まったく、これっぽっちも顔が思い出せない。この調子なので、普通は名前も覚えない(!)。ニンフォマニアックの時に名前を覚えなかったのは、それほど「チャーミング」ではなかったからだ。

 そして/しかし、今回ステイシー・マーティンの名前を覚えてしまった。「チャーミング」だったからだ。きっと何年かののち、別の作品でステイシー・マーティンに感心することになるのだと思う。なぜって一度「チャーミング」になってしまった人は、別の作品でも容易にチャーミングになり得るからだ。

 

というわけで、いずれ何らかの映画でステイシー・マーティンをみて、感心して、その名前つながりでグッバイ・ゴダールを思いだす事になるのだろう。そして/しかし、やはり顔は浮かんでこないのだ。

10/15 さくらねこ

リフォーム以来、庭に出やすくなった。コンクリ土間を打ったからでもあり、宅内からでる扉が良い位置に変わったからでもある。

 

そうして庭を観察していると、数々の猫が通り過ぎたり、コンクリ土間の窓から見えにくい所でくつろいだりしているのが判ってきた。家人も、そしていなくなってしまった息子も極度の猫アレなので、家の中で飼うのは諦めていた(※)。それが向こうからやってきてくれるのだ。当初はそのありがたさに呆然としているだけだった。

はー、かわいいンゴねぇ。

※猫アレ以外にも室内で飼うのが無理な理由ができてしまった事については、次のエントリで記録を残す予定。

 

そうやって庭に来るネッコ(もうネッコでいいよね)をチラ見していると、ある事に気がついた。アレ?みんな「さくら」じゃね?

 

さくらねこ、それは避妊手術を受けた証として、オスなら右、メスなら左の耳の先をさくらの花びら型にカットされた猫。

さくらねこ♥TNRとは – どうぶつ基金

 

庭で確認されたネッコは以下のとおり。

  • シロネコ(メス。目つきが厳しい)
  • キジネコ×2(母子かな、セットで来る。両方ともメス。よく鳴く。娘は少しサバが入った感じ)
  • シャムが入ったようなタヌキネコ(オス)
  • シャムが入ったザッシュネコ(オス。目が赤い!)
  • シロネコ(オス。柄の悪い顔つき)
  • ヨモギネコ(オス。左目の目元にハナクソあり)

これら7匹がみんなさくらねこ。近所に篤志家がおられて、さくらねこ活動を強力に推進されているのだとしか思えない。

 

そういえば今年の春先からネッコのさかりの声が聞こえなくなったと思っていたのだけど、そうか、こういう事だったのか。さくらねこ化が行われていたのか。よく見れば庭に来るネッコは、どれもそれほど痩せていない。地域のネッコを支えている人(たち?)がいるのだ!

 

じゃあ、構ってもいいよね?

地域ねこだよね?

 

初夏に存在を認識したさくらねこは、秋になってもまだ庭に来てくれている。そのうちに冬になるのだが、できればそのときにも来て欲しい。

だから作ることにしました、土間収まりのサンルーム。

 

馬鹿だと思う。

思うんだけど、仕方がない。だって来てくれるんだよ? ネッコ。

後悔はしていない、今回はそういう決断の記録です。

 

 

追記1

なぜ、今このエントリをものしたか?

決断をしたからというのもあるけどもう一つ、キジトラの母親の方と、ついにふれあいに成功したからです!!

さわりまくりです。

 

追記2

ふれあいの結果、家人のみならず、なんとワタクシまで、猫アレ持ちとなっていたことが判明。猫サマが帰ったあとの庭に出ると鼻が詰まるやら、咳が出るやらするのだ。どこまでも人生はつらく、キビシい。

でもさわるけどね。

 

ホントの老人になると、免疫が下がってくるので猫アレが弱くなるという説もある。長生きはしたくないんだけど、、もしかしてそういうボーナスがあるの?

 

 

10/11 2018金沢市市長選ウオッチ(その1?)

11/4に告示、11/11に投開票を行う金沢市市長選も候補者が出そろったので、第一回のメモを残しておく。

 

なんと言っても、

septiembreokbj.hatenablog.comなどと書いたので、答え合わせをしておかねば喃、ということでもある。

 

 

まず最初に名乗りを上げたのは現職の山野之義氏。例の樋渡氏との類似度が気になる人である。なんとこの人口減少時代に、コンパクトシティを目指すどころか、新交通システムで市の活性化を目指すのだそうである。

10/5付けの北國新聞によれば以下の如し。

しかし山野氏が発表した市長選公約の中には、次の一期4年では「具体化どころか、意見集約すら難しい」(市関係者)プランが目立つ。

その最たるものが「都市内交通ネットワークの充実」をうたった新交通システムの導入である。

...中略...

山野氏は「交通のあり方が今のままではいいとは誰も思っていない」と導入に意欲を示す。だが、新交通システムは、山出保前市長時代の99年に県市共同の検討会で可能性を探ったものの、走行空間の確保などがネックとなり、断念した経緯がある。

樋渡臭がプンプンする。

そういえば、本件についてはこんなメモを残してもいた。

septiembreokbj.hatenablog.com

そして山野氏自ら旗を振って導入したゴミ収集の有料化のスキームが、日本の他の都市とは大きく様相が異なっていることは、既に今年の一月、二月に(クドクドと)記した通り。都市のインフラを維持することすら難しくなっていく人口減少のなかで、出るを改る事もせず、人気取りと思われも仕方のないところにゴミ収集から得た金を撒く姿は、よく言って合意形成が理解できない理想主義者、悪く言えばこの瞬間しか考えられない近視眼者にしか見えない。

次のゴミ処理場の費用はどのくらい積み立てられているのか、埋め立て地の手当はどうだろう?金沢市立病院の赤字が毎年報じられるようになってすでに久しいが、これも九州のどこかであったように民業に売却するのか?下水のリプレースは?大きなスコープで見ればお金を使わなければならない事、お金の出し方を変えていかなければならない事は山積している。それらを無視して、コミュニティを活性化させさえすれば市の将来は何とかなるがごとき印象を振りまくのは、いかなる道理に基づくのか。

 

10年後、20年後を想定し、そこから逆算した線路を敷くポジションがガバナーなりメイヤーなりだと思うんだけど、そしてそのビジョンが自分の思い込みではなく、さりとて「民意」という名の刹那の欲望の集合でもないことを保証する事が首長の能力評価の大きな指標なのだけど、そういう点からみても、現職市長には今のところ落第点しかつけられない。

そうか、選ばれるためには何をしてもいいのだという人間がもう一度出てくるのか。それは昏いことである。これからの社会変動に耐えるための基礎固めをするべき時期に、足下しか見られない(...以下自粛...)人がもう一度市長を目指すというのか。老い先が短く、気遣うべき次の世代もない身の上で良かったと思う事であるよ。

 

 

あ、なんだか温度が上がってしまった。クールダウンしよう。

 

そしてあわや無風かと思われた市長選に名乗りを上げたのは、共産党金沢地区委員長の南章治氏。「市民本位の金沢市政を作る会(市民の会)」推薦だそうです。

10/8の北國新聞朝刊によれば

2月に始まった家庭ごみ有料化の廃止を訴え、「山野市長は有料化に反対する市民の声を聞こうとしない。市民と協働し、勝ちに行く戦いとしたい」と意欲を述べた

(強調・下線は筆者)

とのこと。

あー、やっぱりここを争点にしてきましたね。予想が当たってウレシイ。

でも「市民」の名前を軽々しく使うのはマイナス100000点。自分たちの都合の良い集合に「市民」を冠するセンスがすでに嫌われているという事が判らないのは悲しい。だって苦渋の判断でゴミ処理有料化を是とした人もいらっしゃるでしょうに、その人たちまで十把一絡げで馬鹿と言わんばかりの物言いは、さすが共産党と恐れ入る。世の中をボリシェビキとメンシェビキでしか分けられない思考法は、つまりusとthemに世界を二分せずにいられない宿痾は、どこまで行っても信仰者以外を敵に回すことになるんですがねえ。

せめて若い人が目移りしそうな候補者を立てれば良いと思うのだけど、それすらもできていないのは、よく聞くところの共産党の組織序列の厳格さに依るのでしょうかね。若人が立てるのは市会議員や区議会議員、よくて都議会議員。そこから徳を積まないと上に上がれない云々。でも吉良佳子さんって方がいらっしゃいましたね(ああ、でもあそこは親の代からだからかなあ...)。あんな感じで、みよみよこと広田みよ氏でも立てれば良いのにねえ、とは外野の偽らざる感想です。逆に若い人を立てないというのは、言葉とは裏腹に「勝ちに行く戦い」にする気がないのでは、と邪推してしまいます。

まあ、ソレコレ勝つために必要なことができない共産党だから影響力を持ち得ない訳で、それ故に安心して見ていられるのですが。

 

とはいえ、選挙戦があるのは目出たいことで、ぜひビジョンのぶつけ合いをして欲しいと思うところです。どんな論点が出てくるのか(チャレンジャーである共産党が仕掛けてくるのか)、そしてどんな論争が巻き起こるのか、楽しみにしています。

 

ウオッチの第一回はこの辺りで。

10/9 輪島の瞳

10/8に輪島大士さんが亡くなったことを知る。70歳。

 

訃報に記された輪島大士さんの年譜を見れば、載っている事は当然ながら相撲に関わることばかりで、だから人生の後ろ半分である1985年以後については

年寄名跡が絡んだ金銭トラブルで廃業。以降はプロレスラーやタレント、アメリカンフットボールの社会人チーム監督などとして活動

と雑駁に記されるのみだ。

 

しかし記憶に残っている「輪島」の痕跡は、あまり相撲と関係がない。

 

金沢駅からほど近い六枚町交差点の角に「相撲茶屋 輪島」という大きな店を一時期構えていた。いまでこそ栄えているが、1980年ごろの金沢駅前は何もないところで、どうしてこんな寂れたところに、こんな大きな店を構えたのだろうと不思議に思っていた。そして案の定潰れた。

輪島というと、まず最初に思い出すのがこの店と、それが潰されたあとの更地のことで、つまり自分の中で輪島はある種の悲しみと分かちがたく結びついているのだ、アホやなあ、もったいないことしたなあ、と。

 

そして次はコレ。

 

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CD音源としては「遠藤賢司バンド – 不滅の男 大実況録音盤」に納められている(89/10/9、渋谷クアトロでのライブ)。もう廃盤かなと思ったけど、まだAmazonで手に入るみたいだ。

これを1991年、出たばかりの時に買ってしまったのが運の尽きで、輪島のイメージに遠賢の妄想が重畳されてしまった。

いや、重畳ではないな。相撲茶屋の跡地を見たときの「アホやなあ、もったいないことしたなあ」という寂しさと、プロレスラーとなった輪島を歌う「輪島の瞳」はどこか通じるものがあったのだ。

 

才能と努力に裏打ちされた華やかな前半戦とは真逆の、寂しさと静かさが付きまとう後半戦(落魄とは言うまい)こそが、自分の中の輪島なのだ。

そうか、お亡くなりであるか。

 

 

 

とっちらかったままだが、日々の記録なので、まあそういう(不出来な)時もある。今回は、輪島大士さんの訃報に接して色々思い出したことをそのままごろんと残しておくことにする。

 

追記

輪島大士さんの訃報を聞いて「輪島の瞳」を思いだしたということは、あの人の訃報を聞けば、では「不滅の男」をやはり思い出すのだろうか。きっとそうだろうな。