all things must pass

記録と備忘録による自己同一性の維持を目的とするものです。

12/21 世界は素子で回っている

もちろん「もとこ」じゃない。

 

 

ここ二年、11月になると金沢のしいのき迎賓館にはTechnicsのハイエンドオーディオセットが持ち込まれ、プログレのアナログディスクを音源とした鑑賞会が開かれている。鑑賞会?まあ、そういう感じ。

石川県政記念 しいのき迎賓館 - ようこそ、おもてなしの空間へ。-

(2018年のイベント情報はWEB上にないみたい。なぜに?)


ここで驚くべきは、ハイエンドオーディオセットにもかかわらずパワーアンプがフルデジタル、つまりデジタル信号を入力して、PWMの最終出力段でアナログ化するという構成を取っているということ。そしてハイエンドと名乗るにふさわしい音を出していること(もちろん人によって好みはありますが)。
え、アナログディスクが音源なのに、パワーアンプはデジタル入力なの? と気がついた人は鋭い。ターンテーブルから出た信号は、フォノアンプでAD変換をされた上でコントロールアンプにデジタルで送られているのだ!*1

アナログ信者が憤死する構成だね。でもアンプまでトータルに考えるなら、これはアリのシステム設計だ。そして、その設計が当たりである証拠に、眼前のオーディオセットは素晴らしい音を奏でている。
なるほど、最近のデジタルアンプというのは本当にすごいのだなあ、最終出力段までフルデジタルの、DAC不要の世界が来たのだなあ。


という素朴な感想を持っていた、四日前までは。

 

 

 

見方が変わったのは、月曜の朝に届いたtech系ニュースサイトの記事サマリー紹介メールのせいだ。そこにはこんな見出しがあった。

 

┏━ EDN Japan 今週のオススメ記事 ━━━━━━━━━・・・・・‥‥‥…………

【2016年12月公開記事プレイバック】

●窒化ガリウム、D級オーディオの音質と効率を向上
https://re.itmedia.jp/3Oi57HPR

 

二年前の記事の紹介なのだけど、Technicsのハイエンドオーディオセットにショックを受けていたワタシには引っかかるものがある。そこで、その記事に目を通してみると...。

ednjapan.com

以下、記事から引用。

シリコン(Si)によるMOSFET(以下、Si-MOSFET)は過去25年間にわたり、D級システム向けスイッチング・トランジスタとして選択されてきました。ただし、効率の高いアンプは作れますが、不完全なスイッチング、高いオン抵抗(内部抵抗)、非常に大きな蓄積電荷による歪みに悩まされてきました(図1参照)。

...中略...

 

もし非常に正確なスイッチング特性を備えたトランジスタ技術があったとすれば、PWM変調器から再生する小さなオーディオ信号の電力をほぼ完全に再生でき、フィードバック量を大きくする必要性を小さくする(または、完全になくす)ことができるはずです。

...中略...

 

こうしたD級システムに適した理想的なスイッチング・トランジスタが、窒化ガリウム(GaN)を用いたトランジスタであり現在、実用化が進みつつあるのです。

...中略...

 

しかも、この特性は、ヒートシンク(冷却器)なしで得られ、eGaNベースのアンプは、多くの既存システムの標準的なアンプの実装に直接接続することができます。

...中略...

 

他にもパナソニックが、2015年に、ハイエンドのオーディオマニア向けブランドのテクニクスで、eGaN技術を用いたアンプを製品化しました。

...中略...

 

高いPWMスイッチング周波数、低減したフィードバック量、より広帯域化が可能なeGaN FETベースのHD Audioシステムは、オーディオマニアが要求する暖かさや音質を満足するサウンド――、つまり、最高のリニアAB級システムでさえ達成したことのない地点に到達することができる素晴らしいオーディオ体験を生み出すことができます。

 

ああ、そうだったんだ。Technicsのアレは、古典的なオーディオ道の常套手段である物量投入の結果じゃなくて、新しいデバイスがもたらしたイノベーションの成果の一つだったんだ。
ただしTechnicsは「ハイエンドオーディオ」として成立させるために、そのGaN素子に投入するDC電流の精度を上げるための巨大な電源部を組み込んでいる。こういう物量による演出なかりせば、158万円也のプライシングは難しいだろうしね。

(その158万円の偉容はこちら)

jp.technics.com

そのページの冒頭の惹句を引用してみよう。

デジタル音声信号の理想的な伝送、増幅を追求した革新的パワーアンプ
独自のデジタル信号伝送インターフェースTechnics Digital Linkによって、
音声信号をスピーカー直前までフルデジタルで伝送・処理するとともに、
実際の音量調整をパワーアンプ側で行い、歪み・ノイズ・ジッターを徹底して排除。
さらに、GaN-FET Driverの採用による高速でロスの少ないスイッチング
スピーカー負荷適応処理LAPC(Load Adaptive Phase Calibration)により、
正確かつ、強力で超低ノイズの電力増幅を実現しました。

投入物量や新機軸(脚注でも触れた音量情報を別途送るプロプライエタリのデータフォーマット)が並ぶ中、そーっとGaN-FETという文字が入っているのが判る。

ここがイノベーティブなのだ*2

 

総額600万のTechnicsのシステム等はワタシの実生活にはあんまり交差しないけど、低消費電力、低発熱の高品質デジタルアンプが手に入るとなると、その応用範囲は広大だ。家庭も、車も、さまざまなポータブル機器も、およそ音響増幅があるところは、おそらくGaN素子によるデジタルアンプにおきかえらえる事になる。
もともとPWMによるD級アンプ(デジタルアンプ)は、理論的には筋がよい話だったのだ。それがいまだに全世界を征服していないのは、スイッチング素子の物理特性がその理想に応えられなかったからだ。

ワタシの常識はそのあたりで止まってたんだけど、GaN素子の登場でその構図が崩れていたのだね。うむむ、情報収集の感度が下がっているのかしら。とまれ二年前のニュースは、重要な情報を伝えてくれたのだった。

 

というだけでは、世界が劇的に変わる話にはならない。

この話には続きがある。今週の火曜の夜に友人と会食したとき、「デジタルアンプにイノベーションあったみたい。GaNアツイ」と伝えたところ、ワレもGaNに注目しておるという反応があった。さすが友人話が早いというか、現在はソフトウェアエンジニアであるのだけど、大学のタイトルはEEだったし、チップ屋さんに勤めてたこともあるしで、彼の方が土地勘がある話なのだな。

 

彼の話では、今ACアダプターがアツイのだそうだ。

www.amazon.co.jp

 彼はこれのニューズリリースをみて興奮したそうで、たしかにすごいスペック。GaNを使うことで、DC-DC変換部の効率が上がるということだね*3

 

電圧の変換効率が良くなるということは、世界中で無駄に発生している変換損としての熱が減少するということで、つまり世界が変わる話だ。そういう事を引き起こす素子の進化が進んでいるというのをまーったくフォローしそこねていたのは何ということだろう。

 

思想とか、物語とか、民族意識とか、歴史観とか、ソフトウェアとか、プロダクトとか、そのようなもので世界が回っている訳じゃないんだよね。 

そういう上部構造というのは、その下部構造に制約される。私たちがどのように立派なことを考えようとしても、インターネットを支えるコンピューターや、通信や、電力が供給されなければ、今の私たちはその活動を続けることができない。逆に、昔の知的活動がああいう形だったのは、結局それを支える下部構造による制約の結果なのだと思う。その下部構造であまねく使われている素子にイノベーションが起きれば、やはり世界は変わるのですよね*4

「世界は素子で回っている」のです。

 

バイスの動向を正しく見ずして世界線を占おうというのは、ソフトウェアエンジニアの奢りですなあ。おハズカシイ。これからは旧に倍してデバイス周りのウオッチを(も)進めて参りますとも。

 

言いたいことは大体終了。

 

反省も込めて真面目にGaNの状況を調べてみたので、そこで見つけた記事を最後に挙げておきます。

第2回:GaNの商用化が加速、SiCはやや足踏み (1/4) | 連載02 省エネを創り出すパワー半導体 | Telescope Magazine

第3回:始まる今後のロードマップ (3/4) | 連載02 省エネを創り出すパワー半導体 | Telescope Magazine

(引用)

じっくり立ち上がる

以上のような応用が定着すれば、GaNによる電源アダプタはパワー半導体の新たな市場を切り開くことになる。ただし、工業用半導体は時間のかかる市場であり、急速な市場の立ち上がりはありえない。

GaNを使ってスマホやパソコンの電源アダプタがプラグ程度の大きさになると、2-in-1タブレットやノートパソコンの持ち運びがもっと容易になる。しかも急速充電が可能となれば、大市場に成長する可能性がある。

しかしながらGaNプロセスを担当するTSMC社のようなファウンドリ企業は、GaN製造プロセスの開発が簡単ではないことを知っているだろう。このため、2017年に量産開始という目標を立てているものの、実際のラインの立ち上がりまでに一般には1年程度はかかる。GaNの製造が本格的に立ち上がるのは、2018年ごろ。トヨタがSiCをEVに搭載すると明言している2020年以降は、市場も拡大していくという予測もできそうだ。

 

2018年現在、ちょうどその立ち上がりを見ているところなのかな。

新しいパワートランジスタがどこまで世界を変えていくのか、とても楽しみです。

 

世界の行く末に少しは希望が持てるかも、そういう明るいネタとの久々の遭遇であったことですよ。

 

 

追記

とはいえ、ちょっとは昏いはなしも書いておこうかね。

eetimes.jp2013年の記事です。

(引用)

富士通とその子会社富士通セミコンダクター(FSL)は2013年11月28日、Transphorm(トランスフォーム)と窒化ガリウム(GaN)パワーデバイス事業を統合すると発表した。

...中略...

 

FSLのGaNパワーデバイス事業は2009年から事業化を目指し技術開発を進め、2011年からサンプル品の出荷を開始。ただ、量産には至っていなかった。GaNデバイスの製造は、FSLの会津若松工場6インチウエハーラインで実施しているが、同製造ラインは事業統合の対象に含まれず、今後もFSLが、新会社から製造受託する形で生産、運営する。

...中略...

 

富士通は、FSLの半導体事業の整理、再編を実施しており、スパンションにマイコン/アナログ半導体部門を売却(関連記事:Spansion、富士通のマイコン/アナログ事業買収を完了)した他、システムLSI部門は2014年春にもパナソニックのシステムLSI部門と事業統合する計画(関連記事:富士通、パナソニックとのLSI事業統合交渉「順調に進んでいる」)。FSLとしての事業はGaNパワーデバイス部門の切り離しにより、2014年春以降、不揮発性メモリ「FRAM」に関する事業と会津若松工場の運営のみを残すだけとなる見込みだ。

 

 

さて、FRAMとGaN、どっちの方が技術的に筋の良い、そして世界に対するインパクトの大きな素子だったのでしょうか。

富士通は昏い判断をしたのでは、という気がします。もちろん、量産に成功し、世界中にイノベーションを巻き起こす可能性を否定するものではないし、そうなったら面白いなとも思うのですが、でも今のところは裏目の判断だったとしか言いようがない状態です。

うーむ、こういうのはMoTの領域ですかね。誰か事例分析してくれるといいな。

*1:コントロールアンプがデジタルIN・デジタルOUT、パワーアンプもデジタルIN、とすると気になってこないだろうか。

そう、音量制御をどうするのかということだ。いままでのコントロールアンプの考え方だとボリュームに応じて電圧が変わる。でもデジタル信号の場合はそうはいかない。S/N比がボリュームに応じて下がるというのはあり得ないよね。小さな音の時には解像度が下がって、大きくするときれいに聞こえるだなんて。

というわけで、Technicsはこのアンプ間の転送フォーマットをデータ+音量情報の独自規格にしてしまった。相互接続性を取るか、音を取るか。相互接続性を捨ててでも音を取るのはハイエンドらしいと見ることもできるけど、どちらかというとパナの文化を感じる。このフォーマットをISO化するとかすれば、新しい概念のパワードスピーカーとかができそうだ。さて、そういうのをみんなで盛り上げていこうとパナが考えているかというと...。

歴史を見る限り昏いね。

と、ここまで書いてて気がついた。アナログ信号であっても小音量の場合は結局S/N比が下がってる訳じゃん(デジタルの場合の有効桁数減少という強烈なペナルティーが無いから見えにくいだけで)。

Play Loudは正しいということなのだなあ。

 

*2:Technics Digital Linkがもう一つのイノベーションになるかどうかは、彼らが仕様をオープンにするかどうかに掛かっている。さて、パナマインドは払拭できるのか?

 

*3:AC-DC変換直後は高圧DCなので、それを降圧するためにDC-DC変換を行う。そのときにPWMをするのだけど、そこがGaNの出番ということになる。

ロームが公開している情報サイトにその当たりの考え方がコンパクトにまとめられているので載せておこう。

micro.rohm.com

 

*4:なお、これは「モノヅクリ」云々のバカ言説とは一線を引いた話であることは強調しておきたく。

何となればモノヅクリとはプロダクトレベルの話であって、上部構造での事だからです。

12/19 ライブ二様;その2 King Crimson@本多の森ホール(旧石川厚生年金会館) 12/7

最近ためていた記録の整理の一環。11月、12月に行ったライブ二つのことを記す。

2つ目は12/7に本多の森ホール(旧石川厚生年金会館) であったKing Crimsonのライブ。

 

すでに多くの方がネット上でアレコレ書かれており資料的な事はいいだろうと、いつもどおり私的な記憶をぐだぐだと書き連ねていく。

 

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12/17 慶楽閉店

過去二ヶ月の記憶の棚卸しシリーズの筈だったのだけど、緊急度が高いネタが入ってきてしまったのでこちらを優先する。

 

 

有楽町の慶楽が12/28を限りに閉店するのだという。

後継者がいないためとのことで、昭和25年からの店が終了するのだという。

 

ここに最初に行ったのは、おそらく1972年、年末だったかな。家族旅行で近所の某ホテル(アレだ)に宿をとったときの初日の夕食だったと思う。有楽町という地名が頭に刻まれたのはこのときだった筈だ。弟はここの焼売のことを後々まで語っていた。子供心にもおいしかったのだろう。

 

その店に、東京に通勤のように通うようになってから、ぽつりぽつりと一人で行っていた。遅めの昼に入って、どの焼きそばにしようか迷うのが楽しかった。

そのうち息子が東京にいるときに一緒に食べようと思ったりもしていた。行くなら夜だね。若いからいろいろ食べるだろうね。おかげでこっちもいろいろ楽しめるよ。君のことを気にかけてくれている叔父さんは、昔ここの焼売を食べてびっくりしていたんだぜ。そういう話もする筈だった。

 

しかしその日は来ず、そうこうしているうちに慶楽までがなくなってしまう。

all things must passとは正にこういうことなのだ。

12/14 ライブ二様;その1 武川雅寛さん@もっきりや 11/18

最近ためていた記録の整理の一環。11月、12月に行ったライブ二つのことを記す。

まずは11/18に金沢のもっきりやであった武川雅寛さんのライブから。

性質上、極私的なエントリが多いこのBLOGだが、今回はいつにも増して私的な内容であることを先に断っておく。

 

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12/13 長野備忘録

大物案件が成功裏に完了してようやく平常運転に戻ったので、たまっていた各種記録の整理をせねば。

 

ということで、まずは長野に行ってきた記録の棚卸しを。

なんともう二ヶ月近く前のことじゃないか。アカンがな。忘れる前に、少しでも残しておこう。

以下、思い出すまま、雑駁にだらだらと綴る。

 

 

拠点とした宿は、長野市JALシティ。駅周辺と善光寺の中間くらいのところにあって、どちらにも歩いて行こうという身には都合がよいのだ(その日の朝に予約をする訳じゃ無いから天気が悪い場合のことも考えるよね、普通)。

そのJALシティ、地下駐車場の一角の盗難防止用の柵の向こうに、ハイエンドなロードレーサー多数がハイエンドなカーボンディープリムホイール多数そして何台かのローラー台と共におかれていたのがとても印象的。帰りがけに係員のひとに訊ねたところ、スケートの小平選手などが合宿をしているとのことだった。午前は氷上を滑り、午後は自転車で走る、だったかな?そんなメニューを送っているのだとか。なるほど。

立地で選んだJALシティだが、フロントの態度は十分に悪く(なぜ初手から居丈高にでるかね?)、壁は中々に薄く、設備は存分に古く、宿の選択を間違ったなあというのが結論。いや、立地はいいんだけどね。しかし観光客なのであれば、思いっきり観光客っぽく振り切って、善光寺門前の宿坊に(も)泊まるべきであったかと反省したりもした。観光客としての次回があれば、是非そうしよう。

 

 

善光寺はさすがにご立派であったのだけど、一番印象的だったのは実は寺じゃない。長い石畳の参道を善光寺に向かっていたときにすれ違った、寺の方から歩いてきたラテン語族のおばちゃん二人組に善光寺No.1を持って行かれてしまった。

何事かに激高している様子の、小柄だが然しゴツいおばちゃんは、もう一人のおばちゃんに「Liberté!  Liberté!」と大声で叫んでいる。何に憤っているのか知らないが、しかしどう見ても憤っている態度だ。隣のおばちゃんも、何とか取りなそうとしているし。一体寺に何があるというのか?

参道のどん詰まりまでいってみたが、もちろん判ることは無かった。

そして未だにあの「Liberté!」が耳に残っている。自由がないと叫びたかったのか、それとも自由すぎると怒りたかったのか。でも何が?

 

あとびっくりしたのは、善光寺では七五三をやっているのだね?(あんまりびっくりしたので写真も撮った)。ありゃ神道の営業メニューだと思っておったよ。これが印象に残ったNo.2。

 

そして当の善光寺だけど、これについては「浅草寺と似てるなあ」が感想。どうにも観光旅行に向かない体質らしい。名刹を訪れといてこれなのだから。

 

 

食事の事も記録に残しておこう。

付いた初日の夜、昼に十日町で食べたそば(※)がまだハラに残っていてあんまりやる気もなかったんだけど、それでもせっかくの旅行だからと、日曜で休みの店も多い駅周辺を腹ごなしを兼ねてうろつくこと小一時間。やはり気配は漂うモノで、それをたぐって、暗い通りの更にその奥にある店を引き当てたのでございます。

その店の名は「蕎麦旬菜こすげ」。

※これは家人と息子が一緒にいった店にワタクシも行ってみたいというセンチメントから。結論から言えば失敗。ハラがくちくなったときに、あとは頼むぜと言える若い力と一緒に行くべき店なのだね。

 

sobakosuge.com

畏るべき店でした。何の予備知識も持たず入ったのだけど、酒、つまみ、そば、どれも恐ろしく丁寧な仕事に圧倒される。例えばハイボール一つとっても、ちゃんとしたバーのハイボールだ。酒の品揃えもいい。つまみの鴨の焼き具合も絶好。そして、どうして自家製のコンビーフがあるのだろう(ローストビーフを出す都合か?)。これの牛の脂の甘みのまとわり付き方がハイボールにとても合うのだ。

そしてもちろん蕎麦。もりとカレー南蛮(!)を頼んだのだけど、どちらも畏るべし。香りがあって、甘くて、喉ごし(と喉ぎれ)のいい蕎麦と、それにジャストの汁だけのもりも素晴らしいが、カレーというよりはガラムマサラ南蛮とでも言うべきカレー南蛮には恐れ入ってしまった。移動で疲れた体が、その畏るべきカレー南蛮で一気にほぐされてしまったのだ。

惜しむらくは、昼のダメージがまだ残っていてフルスイングで食べられなかったことで、この店に行くためだけに次の長野行を計画してもよい(いや、出張の帰りに途中下車するとか、等など)と思う事しきり。そして大いに飲み、かつ喰らうのだ。

いいなあ、長野。

ちなみに、店を出るときにごちそうさま、おいしかったですと声をかけると素晴らしい笑顔で送り出してくれたご主人、後でネットで調べれば善光寺は仁王門そばの小菅亭という鴨南蛮が有名な老舗のご子息らしい。なるほど、であれば鴨の扱いも手慣れたものか。やはり次の長野行は急がねば。

 

その翌日には、積年の課題であった上田の刀屋さんにも行った。最初にその存在を知ったのは30年前。以来チャンスをうかがっていて、ようやくの訪問である。

蕎麦の盛りは小、中、普(普通)、大の四段階。ここは盛りがいいことでも有名であり、大が大変なことになるのは言うを待たず、普も中々大したことになるようなのだ。とはいえ食べ終わったあとにもうちょっと欲しかったというのも業腹だ、ええいなるようになるさと、普と天ぷら(ここではちらしという)を頼む。

...昨日もそういう事を言っててはまったんじゃ無かったっけ?

 

しかしさすがは刀屋さん、うまいうまいと食べている裡に、蕎麦の山も、天ぷらも、きれいに腹中に収まってしまった。してみると昨日のアレは、息子の不在だけではなかったのだなと気がつく。そうかますます足が遠くなっちゃうな、十日町

30年ごしの宿題が、よい結末を迎えて大満足。お店の人の親切な感じも素晴らしかった。ここもまた来たいね。

 

他にも色々食べたけど、あと特筆しておくべきなのはここかな。


レストラン ヒルトン (トリップアドバイザー提供)

 

長野市に入る時、ロードサイドにその看板を見つけて、結局帰りに立ち寄ってしまった。

だって「常に洋食界をリードする」だよ?

 

www.tripadvisor.jp

結論的には良いお店でした。11:30ごろに入ったんだけど、その時点のお客さんで最年少なのは多分ワタクシ。つまりご高齢の方がとても多いお店だったのです。1970年創業ということは、地方におけるロードサイドレストランの勃興期ですな(件の看板は2015年に作ったということですね)。その頃からのお客さんが一緒に年を取ったという感じ。

お店のしつらえも同じく一緒に年を取っているけど(そしてそのことについてブツブツ言っているレビューを目にするけど)、ワタクシ的にはそれはそれでOK。なんとなれば、ワタクシの外食人生は、幼稚園の頃にあちこちのこの手の店に連れ回されたことに始まっているからで、まさに原点という感じなのですよ。思い出補正ということでもあるわけですが。

ただし、単なるノスタルジー、もしくは同時代性だけで今日までやってこれた訳がないのであって、料理の味はしっかりしている。ファミレス料金を期待されると困っちゃうけど、そこそこの値段できちんとしたものを出すという方針でずっとやってきたんだろうなというのがハッキリと判る。メインに信州オレイン豚ロース肉 ポークカツレツというのを頼んだのだけど、付け合わせのサラダや、カツレツにかける二種のソースにも工夫があった。別に頼んだ牡蛎のグラタンも、表面のお焦げ(グラタンというかグラチネ)がカリッとしていて、中の牡蛎とのコントラストがいい。

そのうえで、いまなおクラシカルなサービスをそのまま供しているのが泣かせるところだ。そこはやっぱりこの店の売りなんだと思う。スープなんか、ウエイトレスのおねえさんがテーブルに置いたお皿に一杯分づつ給仕してくれるんだよ。牡蛎のグラタンを頼んだら、メインの前に順番に持ってきてくれるんだよ。往年のロードサイドレストランのサービスを、しかも若いおねえさんが供してくれるというのは、幼稚園児の時に、背筋を伸ばしてナイフとフォークを使ったのを思い出してしまうね。

そうこうするうちに12時を過ぎて、勤め人の人たちがランチを食べにやってくる。彼らが注文するのは千円前後のランチ限定メニューのようだ。なるほど、客層は一色ではないということだね。ワタクシを含めて11時台に入ったお客さんは、おおよそ「本日のランチ」ではないものを頼んでいたのである。

ここもまだまだ続いて欲しいなと思いつつ、そう遠くない店の建て替えをどうするのだろうと人ごとながら気にしてしまう。どうだろうね、建て替えてなお続けられるのだろうか?でも太いお客さんはワタクシよりもさらに年かさなのであって、それを当てにして新規の投資をするというのは辛いよなあ。

 

うまい、うまいと思いつつ、結局は商売の目で見てしまう。因果なことである。

 

 

あとはホントにメモランダム。

長野市に入るまでの道が片側一車線だったり、都市部に入っても道がナチュラルに曲がっていたりで、知らないと結構走りにくい。その反動なのか、ドライバーはみんな親切で譲り合いが徹底している。スゴく良い所だなあと思った。マジで好印象。

(ちなみに同じ県内の松本はXXXXらしいです。Oh...)

 

ガソリンが金沢より15円以上高いのにびっくり。考えてみれば、タンカーを着ける港が無いのだから、陸路で運んで来なきゃならないよね。信越線で新潟から貨車に載せてくるのかな。その分の運賃が乗っかるのは仕方がないということか。

 

長野市の最低海抜が330メートル弱というのにびっくり。そうか、そうだったのか。ちなみに長野県全体での最低海抜が250メートルくらいらしい。スゴいな、山のなかなんだ。人生の折り返しを過ぎてようやく得心するというのもアレだねえ。

まあ、そういうのが旅行の醍醐味なのだろう。義務教育の社会科や地理の時間で学んだことは只の情報だけど、こうやって出かけてみると、なるほど教科書に書いてあったことってこんな事だったのか、とリアルにつながってくる。

 

 

引きこもりで出不精だけど、たまにはこういうのも良いなあというのがまとめとしての感想。

 

そして、小菅はもう一度行かねば、と。

 

 

 

11/21 自己否定1

すごい言葉だ、自己否定。

「私にゃんて、死んじゃえ」極大値においては、こういう発言と、それに続く行動を引き起こす圧倒的によろしくないモノ、通常はそういう受け止め方をされるよね、自己否定。

 

 

でも、そんなに悪なんだろうか、自己否定。

変形Ⅰ:

「(いまの)自分には出来ないことや足りないモノがあると認めること」、単語化して自己認識と言い換えるとどうだろう。相当にニュアンスが変わってこないだろうか。

さらにもう一ひねりしよう。

 

変換Ⅰ:

自己認識のもう一段上には「(いまの)自分に出来ることを評価し、明確にすること」、単語化すると自己査定というものが待っている。この自己査定、相当にうれしい力だ。というか、これが無ければやれないことが世の中には数多くある。

 

 

以下は最近よく口にするフレーズ。

「できる」、「できます」というな。その代わりにどのくらいの確度で「できそう」なのかを言え。

「できる」までは出来てないのだ。

なんだか鬼みたいだな。でも人間は裏切られ続けると心に鬼を宿すのかもしれない(どこかの皇弟とか、イワン雷帝とか、そういう感じ。ま、そこまで鬼のようなことはしないけど)。なぜこんな鬼のようなことをよく口にするかと言えば、もちろんそれを口にしなければならない事が多々あるからだ。

 

君たち、どうして気安く「できる」って思考停止をしちゃうの?「できなきゃいけない」と「できる」の間には無限の断絶があるのだぜ?そこに通行可能な橋を架けることこそが君たちの仕事であって、そのためには自分の手持ちのリソース(時間、能力、etc)を明らかにして、その範囲から到達可能なストーリーを作り出さなければならないのだよ?

 

はい、自己査定の登場です。君たちが「できる」という幻想に逃げ込むのは、自己査定が出来ないからなのですね。もしかしたら逃げているという自覚もないかも知れないけど - 能力の不足は、認識にそういう檻を作るのです。そしてその欠乏は、自己否定が無いことを示唆しています。

 

自己否定ができない人は、気安く(かどうかは知らねども)「できる」と言っちゃう人なのだ。

 

スゴいところまでたどり着いた。

さて、それでも不要なんだろうか、自己否定。

 

 

本エントリはロジハラの近縁種(というよりは真部分集合)、ナゼハラにもの申すために書かれました。

...って、まだナゼハラという言葉は出てないみたいね。ぜひ流行らせたい、ナゼハラ。定義はこう。

「なぜ、何故と問われ続けると、自分を否定された気持ちになる。自分の言ったことを素直に受け止めて欲しい。そういう気持ちにさせるハラスメント」です。

ワタシの仕事は何故を問うことなので(そして、その返事を見極めることなので)、こういう受け止め方をする人が意外に多いことを日々体感しています。そしてそういう人は自己査定の能力と負の相関があることも。

最近のXXハラ整風運動は、日本中のこういう人たちに「あれも実はハラスメントなのでは?」と気づき(アア気持ち悪い言葉だ)を与えるのではないか、と見ています。

ま、来るね、ナゼハラ。鉄板です。

 

そのナゼハラが流行ったときには、否定って何が悪いの?みんなが滅すべきと言ってる自己否定だって大事なんだよと論を張るために、今からビルディングブロックとそれを使った論の立て方の準備をしているのです。本日はその一環。対決の日は近い。

戒厳令が続いているので錯乱しております)

 

 

<補遺>

でも、トヨタなんかはどうやって「五回のなぜ」を定着させてるんだろう。自分を守りたいというバリヤーをどうやって解除させているのだろうねえ。

何故と問うことから否定的なニュアンスを消すのは当然として、それを受けた側が己をむなしゅうして客観的に返事をするという事の根幹、いえばマインドセットをどうやって成立させているんだろう。本当に知りたいのは「五回のなぜ」が成り立つ条件で(※)、もしそれが我々にとってあまりにも距離があるのなら、「五回のなぜ」で問題を解決していくというアプローチは諦めざるを得ない。トヨタはそこを教えてくれないものだろうか。

※例えば全員に無我を求めるとかね。まあこれは極端だけど、でも人間を大きく変えなきゃやれないのだとしたら、それはそれで無理がある。トヨタに入社して新人教育を受けなきゃ判らないとか、そういう人が8割を締める職場じゃ無いとやれないとか、そういうハードルが実はあるのじゃないかと疑っているのだ、最近。

11/19 雑感もしくは命題設定

前にこういうエントリを残した。

septiembreokbj.hatenablog.com

組織というものの中に個人を超えた意志が住みつき、それが長きに渡って馬鹿げた影響を及ぼすことがある(みんな大好きな日本軍などは陸、海ともにソレの典型だ)。金沢市LRT問題も同型だよ、本当にbogusな話だねえ、というオドロキを残したかったのだ。チキンなので、築地移転への所感を残すついでに、ああそういえばという風体を装って金沢市のことを乗っけたのだけど、なに、ホントは金沢市に降りかかった都市交通のノロイのことをメインに書きたかったのだ。だって上掲のエントリ、表題の日付と作成日が合ってないでしょ?おお、なんというヘタレっぷり、そんな小細工を弄するとは。

いや、地方都市で暮らすというのは大変なのです。変なこと書きやがって、と刺されたりするのです。バラしてりゃ世話無いですが。

 

 

さてさて、とはいえ、予算を作ってLRTを敷設しようというのは役所だけで済む話ではないのも自明で、もちろん政治屋も動く。最近、いよいよ明確な事象が発生した。

 

自民党の県関係国会議員六人と谷本正憲知事ら県幹部が意見交換する県政懇談会が十八日、金沢市内のホテルで開かれた。

という出だしでその事象を伝えるのは中日新聞だ。

www.chunichi.co.jpここから一部記事を引用する。

次世代型路面電車(LRT)などを導入し、コンパクトシティー形成を目指す新交通システム構想について、馳浩衆院議員は北陸新幹線敦賀開業を見据えた人やモノの交流拡大などを背景に、検討再開に対する知事の見解をただした。

 知事はかつて金沢市と検討を重ね、市中心部での導入を断念した経緯を説明。金沢外環状道路山側幹線(山側環状)が全線開通した二〇〇六年以降、街中交通量が横ばい、増加している点を踏まえ「当時の状況と変化が出ているのかどうか、金沢市でもう一度精査していただく必要がある」と述べた。

 知事は「県政でもっと大きな問題は並行在来線の安定運営だ」と強調。敦賀開業でJRから経営分離されるため、「福井などとの調整や時間的制約もあり、まずはこれに全力を傾ける」と県の姿勢を明確化した。

 

11/19付けの北國新聞朝刊も同様の内容を伝える。

(以下、同紙27面より引用)

馳氏は金沢市が導入を検討してる新交通システムについて県と市による検討再開を求めた。谷本知事は2002年に「早期導入は困難」との結論が出たことを挙げ、「当時の結論を覆すだけの大きな状況の変化があるのか具体のデータで示す必要がある」と慎重な姿勢を示した。

 

本件報道に関しては中日新聞に軍配が上がる。要望を打ち返した事実を伝えるという点では同じだが、中日新聞は「データを調べるのは金沢市の仕事」、「県としてはJRから分離される在来線の引き受けの方が優先度が高い」と、主張の根拠を伝えているからだ。たしかにごもっとも。県と市では受け持ちが違う。特に石川県は大きな半島部を持ち、それも含め県内の格差解消が行政の大きな課題になっている所なのだ。県全体のバランスを取ることが、ガバナーにも、その僕たる県庁にも強く求められるのである。中日新聞の記事からは、そのような意志をもって県政運営に望んでいるという知事の態度が伝わってくる。

 

さて意外に知らない人が多くて驚くのだけど、半島振興法 - Wikipedia、こういう法律があるくらい半島というのは大変なのだ。そして、そういう地理的な条件によるハンデというのを県庁所在地の自治体の諸人は往々にして無視しがちだ。自分たちの土地が県庁所在地になったのは、そもそもが地理的な条件に恵まれていただけに過ぎないのに(※)、それを特別の寵愛を誰かから賜ったかのように誇り、振る舞う手合いが引きも切らないのだ。

※歴史というのは地理的な条件のうえに咲く花だという事を忘れてはならない。

 

まあようするに、そういうバカが県庁所在地には多く、ことあるごとにゲンナリさせられる。そして今回の事象、そのような一派のスポークスマンが利権を求めるべく行った発言に見えてしまうと、気持ち悪さは最早レッドゾーンである。こんな感じ。

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今回の事象は、山野氏を一度は市長の座から追い落とそうとし、

衆議院議員 馳浩 公式ページ - 平成26年8月31日 はせ日記 激動の8月だった。 振り返ってみたい。... | Facebook

 

それが叶わないと判った後には、県知事を目指すべきと言ってみたりした、

septiembreokbj.hatenablog.com

馳浩氏の複雑な行動の意図を明らかにするものであった。

そうか、国政に対して責任を持つ立場にありながら、一市町村の利権に手を突っ込む、そういう姿勢の人であったかね。中学校の時から総理大臣になると公言している人であったので(地元って恐ろしいね、みんな教えてくれる)、もうちょっと見栄も外聞もある人かなと思っていたのだけど、文教族は暗愚の系譜なんだな、ホントに。県知事を目指すべきと山野氏に新聞を通じてエールを送ったのも、単に党勢拡大が目的じゃなくて、もっと具体的な意図があったのだね。

 

ああ、馳浩氏といえば

blogos.comとか、

 

president.jp

「家族を大事にするのは当たり前のことなのだから、憲法に書いたって、特に悪いことは起きないだろう」という人

と揶揄されている一派の一人として社会的に認知されているのだけれども、そしてそれはザンネンな人だと思われているということなのだけど、それでもまだ決定的にダメとまでは言い切れないところがあった。(ホントかウソか)高見順が好きすぎて、という話はとてもじゃないがキライになれない。

でも今回の事象は、決定的にダメだなあ。

 

国のことでも無ければ、県全体のことでもない。足下の利権の代表としての発言としか思われないことを、すなわちある一市町村の利益のことを県政代表にあえて問うというのは、どうしようもなく時代遅れだし、致命的にずれている。

 

いや、ずれているのはこっちの方か。選挙で選ばれた人と一個人を比べれば、どちらがボリシェビキなのかは自明だもの。でもこういうのが続くと、自分がボリシェビキになる方法を真剣に考えてしまうなあ。

どうすれば自分をボリシェビキにできるのだろう。もしかしたら人生最後の命題はそれなのかも知れない。

 

いや、半ば本気で。