最近ためていた記録の整理の一環。11月、12月に行ったライブ二つのことを記す。
まずは11/18に金沢のもっきりやであった武川雅寛さんのライブから。
性質上、極私的なエントリが多いこのBLOGだが、今回はいつにも増して私的な内容であることを先に断っておく。
続きを読む
大物案件が成功裏に完了してようやく平常運転に戻ったので、たまっていた各種記録の整理をせねば。
ということで、まずは長野に行ってきた記録の棚卸しを。
なんともう二ヶ月近く前のことじゃないか。アカンがな。忘れる前に、少しでも残しておこう。
以下、思い出すまま、雑駁にだらだらと綴る。
拠点とした宿は、長野市のJALシティ。駅周辺と善光寺の中間くらいのところにあって、どちらにも歩いて行こうという身には都合がよいのだ(その日の朝に予約をする訳じゃ無いから天気が悪い場合のことも考えるよね、普通)。
そのJALシティ、地下駐車場の一角の盗難防止用の柵の向こうに、ハイエンドなロードレーサー多数がハイエンドなカーボンディープリムホイール多数そして何台かのローラー台と共におかれていたのがとても印象的。帰りがけに係員のひとに訊ねたところ、スケートの小平選手などが合宿をしているとのことだった。午前は氷上を滑り、午後は自転車で走る、だったかな?そんなメニューを送っているのだとか。なるほど。
立地で選んだJALシティだが、フロントの態度は十分に悪く(なぜ初手から居丈高にでるかね?)、壁は中々に薄く、設備は存分に古く、宿の選択を間違ったなあというのが結論。いや、立地はいいんだけどね。しかし観光客なのであれば、思いっきり観光客っぽく振り切って、善光寺門前の宿坊に(も)泊まるべきであったかと反省したりもした。観光客としての次回があれば、是非そうしよう。
善光寺はさすがにご立派であったのだけど、一番印象的だったのは実は寺じゃない。長い石畳の参道を善光寺に向かっていたときにすれ違った、寺の方から歩いてきたラテン語族のおばちゃん二人組に善光寺No.1を持って行かれてしまった。
何事かに激高している様子の、小柄だが然しゴツいおばちゃんは、もう一人のおばちゃんに「Liberté! Liberté!」と大声で叫んでいる。何に憤っているのか知らないが、しかしどう見ても憤っている態度だ。隣のおばちゃんも、何とか取りなそうとしているし。一体寺に何があるというのか?
参道のどん詰まりまでいってみたが、もちろん判ることは無かった。
そして未だにあの「Liberté!」が耳に残っている。自由がないと叫びたかったのか、それとも自由すぎると怒りたかったのか。でも何が?
あとびっくりしたのは、善光寺では七五三をやっているのだね?(あんまりびっくりしたので写真も撮った)。ありゃ神道の営業メニューだと思っておったよ。これが印象に残ったNo.2。
そして当の善光寺だけど、これについては「浅草寺と似てるなあ」が感想。どうにも観光旅行に向かない体質らしい。名刹を訪れといてこれなのだから。
食事の事も記録に残しておこう。
付いた初日の夜、昼に十日町で食べたそば(※)がまだハラに残っていてあんまりやる気もなかったんだけど、それでもせっかくの旅行だからと、日曜で休みの店も多い駅周辺を腹ごなしを兼ねてうろつくこと小一時間。やはり気配は漂うモノで、それをたぐって、暗い通りの更にその奥にある店を引き当てたのでございます。
その店の名は「蕎麦旬菜こすげ」。
※これは家人と息子が一緒にいった店にワタクシも行ってみたいというセンチメントから。結論から言えば失敗。ハラがくちくなったときに、あとは頼むぜと言える若い力と一緒に行くべき店なのだね。
畏るべき店でした。何の予備知識も持たず入ったのだけど、酒、つまみ、そば、どれも恐ろしく丁寧な仕事に圧倒される。例えばハイボール一つとっても、ちゃんとしたバーのハイボールだ。酒の品揃えもいい。つまみの鴨の焼き具合も絶好。そして、どうして自家製のコンビーフがあるのだろう(ローストビーフを出す都合か?)。これの牛の脂の甘みのまとわり付き方がハイボールにとても合うのだ。
そしてもちろん蕎麦。もりとカレー南蛮(!)を頼んだのだけど、どちらも畏るべし。香りがあって、甘くて、喉ごし(と喉ぎれ)のいい蕎麦と、それにジャストの汁だけのもりも素晴らしいが、カレーというよりはガラムマサラ南蛮とでも言うべきカレー南蛮には恐れ入ってしまった。移動で疲れた体が、その畏るべきカレー南蛮で一気にほぐされてしまったのだ。
惜しむらくは、昼のダメージがまだ残っていてフルスイングで食べられなかったことで、この店に行くためだけに次の長野行を計画してもよい(いや、出張の帰りに途中下車するとか、等など)と思う事しきり。そして大いに飲み、かつ喰らうのだ。
いいなあ、長野。
ちなみに、店を出るときにごちそうさま、おいしかったですと声をかけると素晴らしい笑顔で送り出してくれたご主人、後でネットで調べれば善光寺は仁王門そばの小菅亭という鴨南蛮が有名な老舗のご子息らしい。なるほど、であれば鴨の扱いも手慣れたものか。やはり次の長野行は急がねば。
その翌日には、積年の課題であった上田の刀屋さんにも行った。最初にその存在を知ったのは30年前。以来チャンスをうかがっていて、ようやくの訪問である。
蕎麦の盛りは小、中、普(普通)、大の四段階。ここは盛りがいいことでも有名であり、大が大変なことになるのは言うを待たず、普も中々大したことになるようなのだ。とはいえ食べ終わったあとにもうちょっと欲しかったというのも業腹だ、ええいなるようになるさと、普と天ぷら(ここではちらしという)を頼む。
...昨日もそういう事を言っててはまったんじゃ無かったっけ?
しかしさすがは刀屋さん、うまいうまいと食べている裡に、蕎麦の山も、天ぷらも、きれいに腹中に収まってしまった。してみると昨日のアレは、息子の不在だけではなかったのだなと気がつく。そうかますます足が遠くなっちゃうな、十日町。
30年ごしの宿題が、よい結末を迎えて大満足。お店の人の親切な感じも素晴らしかった。ここもまた来たいね。
他にも色々食べたけど、あと特筆しておくべきなのはここかな。
レストラン ヒルトン (トリップアドバイザー提供)
長野市に入る時、ロードサイドにその看板を見つけて、結局帰りに立ち寄ってしまった。
だって「常に洋食界をリードする」だよ?
結論的には良いお店でした。11:30ごろに入ったんだけど、その時点のお客さんで最年少なのは多分ワタクシ。つまりご高齢の方がとても多いお店だったのです。1970年創業ということは、地方におけるロードサイドレストランの勃興期ですな(件の看板は2015年に作ったということですね)。その頃からのお客さんが一緒に年を取ったという感じ。
お店のしつらえも同じく一緒に年を取っているけど(そしてそのことについてブツブツ言っているレビューを目にするけど)、ワタクシ的にはそれはそれでOK。なんとなれば、ワタクシの外食人生は、幼稚園の頃にあちこちのこの手の店に連れ回されたことに始まっているからで、まさに原点という感じなのですよ。思い出補正ということでもあるわけですが。
ただし、単なるノスタルジー、もしくは同時代性だけで今日までやってこれた訳がないのであって、料理の味はしっかりしている。ファミレス料金を期待されると困っちゃうけど、そこそこの値段できちんとしたものを出すという方針でずっとやってきたんだろうなというのがハッキリと判る。メインに信州オレイン豚ロース肉 ポークカツレツというのを頼んだのだけど、付け合わせのサラダや、カツレツにかける二種のソースにも工夫があった。別に頼んだ牡蛎のグラタンも、表面のお焦げ(グラタンというかグラチネ)がカリッとしていて、中の牡蛎とのコントラストがいい。
そのうえで、いまなおクラシカルなサービスをそのまま供しているのが泣かせるところだ。そこはやっぱりこの店の売りなんだと思う。スープなんか、ウエイトレスのおねえさんがテーブルに置いたお皿に一杯分づつ給仕してくれるんだよ。牡蛎のグラタンを頼んだら、メインの前に順番に持ってきてくれるんだよ。往年のロードサイドレストランのサービスを、しかも若いおねえさんが供してくれるというのは、幼稚園児の時に、背筋を伸ばしてナイフとフォークを使ったのを思い出してしまうね。
そうこうするうちに12時を過ぎて、勤め人の人たちがランチを食べにやってくる。彼らが注文するのは千円前後のランチ限定メニューのようだ。なるほど、客層は一色ではないということだね。ワタクシを含めて11時台に入ったお客さんは、おおよそ「本日のランチ」ではないものを頼んでいたのである。
ここもまだまだ続いて欲しいなと思いつつ、そう遠くない店の建て替えをどうするのだろうと人ごとながら気にしてしまう。どうだろうね、建て替えてなお続けられるのだろうか?でも太いお客さんはワタクシよりもさらに年かさなのであって、それを当てにして新規の投資をするというのは辛いよなあ。
うまい、うまいと思いつつ、結局は商売の目で見てしまう。因果なことである。
あとはホントにメモランダム。
長野市に入るまでの道が片側一車線だったり、都市部に入っても道がナチュラルに曲がっていたりで、知らないと結構走りにくい。その反動なのか、ドライバーはみんな親切で譲り合いが徹底している。スゴく良い所だなあと思った。マジで好印象。
(ちなみに同じ県内の松本はXXXXらしいです。Oh...)
ガソリンが金沢より15円以上高いのにびっくり。考えてみれば、タンカーを着ける港が無いのだから、陸路で運んで来なきゃならないよね。信越線で新潟から貨車に載せてくるのかな。その分の運賃が乗っかるのは仕方がないということか。
長野市の最低海抜が330メートル弱というのにびっくり。そうか、そうだったのか。ちなみに長野県全体での最低海抜が250メートルくらいらしい。スゴいな、山のなかなんだ。人生の折り返しを過ぎてようやく得心するというのもアレだねえ。
まあ、そういうのが旅行の醍醐味なのだろう。義務教育の社会科や地理の時間で学んだことは只の情報だけど、こうやって出かけてみると、なるほど教科書に書いてあったことってこんな事だったのか、とリアルにつながってくる。
引きこもりで出不精だけど、たまにはこういうのも良いなあというのがまとめとしての感想。
そして、小菅はもう一度行かねば、と。
すごい言葉だ、自己否定。
「私にゃんて、死んじゃえ」極大値においては、こういう発言と、それに続く行動を引き起こす圧倒的によろしくないモノ、通常はそういう受け止め方をされるよね、自己否定。
でも、そんなに悪なんだろうか、自己否定。
変形Ⅰ:
「(いまの)自分には出来ないことや足りないモノがあると認めること」、単語化して自己認識と言い換えるとどうだろう。相当にニュアンスが変わってこないだろうか。
さらにもう一ひねりしよう。
変換Ⅰ:
自己認識のもう一段上には「(いまの)自分に出来ることを評価し、明確にすること」、単語化すると自己査定というものが待っている。この自己査定、相当にうれしい力だ。というか、これが無ければやれないことが世の中には数多くある。
以下は最近よく口にするフレーズ。
「できる」、「できます」というな。その代わりにどのくらいの確度で「できそう」なのかを言え。
「できる」までは出来てないのだ。
なんだか鬼みたいだな。でも人間は裏切られ続けると心に鬼を宿すのかもしれない(どこかの皇弟とか、イワン雷帝とか、そういう感じ。ま、そこまで鬼のようなことはしないけど)。なぜこんな鬼のようなことをよく口にするかと言えば、もちろんそれを口にしなければならない事が多々あるからだ。
君たち、どうして気安く「できる」って思考停止をしちゃうの?「できなきゃいけない」と「できる」の間には無限の断絶があるのだぜ?そこに通行可能な橋を架けることこそが君たちの仕事であって、そのためには自分の手持ちのリソース(時間、能力、etc)を明らかにして、その範囲から到達可能なストーリーを作り出さなければならないのだよ?
はい、自己査定の登場です。君たちが「できる」という幻想に逃げ込むのは、自己査定が出来ないからなのですね。もしかしたら逃げているという自覚もないかも知れないけど - 能力の不足は、認識にそういう檻を作るのです。そしてその欠乏は、自己否定が無いことを示唆しています。
自己否定ができない人は、気安く(かどうかは知らねども)「できる」と言っちゃう人なのだ。
スゴいところまでたどり着いた。
さて、それでも不要なんだろうか、自己否定。
本エントリはロジハラの近縁種(というよりは真部分集合)、ナゼハラにもの申すために書かれました。
...って、まだナゼハラという言葉は出てないみたいね。ぜひ流行らせたい、ナゼハラ。定義はこう。
「なぜ、何故と問われ続けると、自分を否定された気持ちになる。自分の言ったことを素直に受け止めて欲しい。そういう気持ちにさせるハラスメント」です。
ワタシの仕事は何故を問うことなので(そして、その返事を見極めることなので)、こういう受け止め方をする人が意外に多いことを日々体感しています。そしてそういう人は自己査定の能力と負の相関があることも。
最近のXXハラ整風運動は、日本中のこういう人たちに「あれも実はハラスメントなのでは?」と気づき(アア気持ち悪い言葉だ)を与えるのではないか、と見ています。
ま、来るね、ナゼハラ。鉄板です。
そのナゼハラが流行ったときには、否定って何が悪いの?みんなが滅すべきと言ってる自己否定だって大事なんだよと論を張るために、今からビルディングブロックとそれを使った論の立て方の準備をしているのです。本日はその一環。対決の日は近い。
(戒厳令が続いているので錯乱しております)
<補遺>
でも、トヨタなんかはどうやって「五回のなぜ」を定着させてるんだろう。自分を守りたいというバリヤーをどうやって解除させているのだろうねえ。
何故と問うことから否定的なニュアンスを消すのは当然として、それを受けた側が己をむなしゅうして客観的に返事をするという事の根幹、いえばマインドセットをどうやって成立させているんだろう。本当に知りたいのは「五回のなぜ」が成り立つ条件で(※)、もしそれが我々にとってあまりにも距離があるのなら、「五回のなぜ」で問題を解決していくというアプローチは諦めざるを得ない。トヨタはそこを教えてくれないものだろうか。
※例えば全員に無我を求めるとかね。まあこれは極端だけど、でも人間を大きく変えなきゃやれないのだとしたら、それはそれで無理がある。トヨタに入社して新人教育を受けなきゃ判らないとか、そういう人が8割を締める職場じゃ無いとやれないとか、そういうハードルが実はあるのじゃないかと疑っているのだ、最近。
前にこういうエントリを残した。
組織というものの中に個人を超えた意志が住みつき、それが長きに渡って馬鹿げた影響を及ぼすことがある(みんな大好きな日本軍などは陸、海ともにソレの典型だ)。金沢市のLRT問題も同型だよ、本当にbogusな話だねえ、というオドロキを残したかったのだ。チキンなので、築地移転への所感を残すついでに、ああそういえばという風体を装って金沢市のことを乗っけたのだけど、なに、ホントは金沢市に降りかかった都市交通のノロイのことをメインに書きたかったのだ。だって上掲のエントリ、表題の日付と作成日が合ってないでしょ?おお、なんというヘタレっぷり、そんな小細工を弄するとは。
いや、地方都市で暮らすというのは大変なのです。変なこと書きやがって、と刺されたりするのです。バラしてりゃ世話無いですが。
さてさて、とはいえ、予算を作ってLRTを敷設しようというのは役所だけで済む話ではないのも自明で、もちろん政治屋も動く。最近、いよいよ明確な事象が発生した。
という出だしでその事象を伝えるのは中日新聞だ。
www.chunichi.co.jpここから一部記事を引用する。
次世代型路面電車(LRT)などを導入し、コンパクトシティー形成を目指す新交通システム構想について、馳浩衆院議員は北陸新幹線敦賀開業を見据えた人やモノの交流拡大などを背景に、検討再開に対する知事の見解をただした。
11/19付けの北國新聞朝刊も同様の内容を伝える。
(以下、同紙27面より引用)
馳氏は金沢市が導入を検討してる新交通システムについて県と市による検討再開を求めた。谷本知事は2002年に「早期導入は困難」との結論が出たことを挙げ、「当時の結論を覆すだけの大きな状況の変化があるのか具体のデータで示す必要がある」と慎重な姿勢を示した。
本件報道に関しては中日新聞に軍配が上がる。要望を打ち返した事実を伝えるという点では同じだが、中日新聞は「データを調べるのは金沢市の仕事」、「県としてはJRから分離される在来線の引き受けの方が優先度が高い」と、主張の根拠を伝えているからだ。たしかにごもっとも。県と市では受け持ちが違う。特に石川県は大きな半島部を持ち、それも含め県内の格差解消が行政の大きな課題になっている所なのだ。県全体のバランスを取ることが、ガバナーにも、その僕たる県庁にも強く求められるのである。中日新聞の記事からは、そのような意志をもって県政運営に望んでいるという知事の態度が伝わってくる。
さて意外に知らない人が多くて驚くのだけど、半島振興法 - Wikipedia、こういう法律があるくらい半島というのは大変なのだ。そして、そういう地理的な条件によるハンデというのを県庁所在地の自治体の諸人は往々にして無視しがちだ。自分たちの土地が県庁所在地になったのは、そもそもが地理的な条件に恵まれていただけに過ぎないのに(※)、それを特別の寵愛を誰かから賜ったかのように誇り、振る舞う手合いが引きも切らないのだ。
※歴史というのは地理的な条件のうえに咲く花だという事を忘れてはならない。
まあようするに、そういうバカが県庁所在地には多く、ことあるごとにゲンナリさせられる。そして今回の事象、そのような一派のスポークスマンが利権を求めるべく行った発言に見えてしまうと、気持ち悪さは最早レッドゾーンである。こんな感じ。
今回の事象は、山野氏を一度は市長の座から追い落とそうとし、
衆議院議員 馳浩 公式ページ - 平成26年8月31日 はせ日記 激動の8月だった。 振り返ってみたい。... | Facebook
それが叶わないと判った後には、県知事を目指すべきと言ってみたりした、
馳浩氏の複雑な行動の意図を明らかにするものであった。
そうか、国政に対して責任を持つ立場にありながら、一市町村の利権に手を突っ込む、そういう姿勢の人であったかね。中学校の時から総理大臣になると公言している人であったので(地元って恐ろしいね、みんな教えてくれる)、もうちょっと見栄も外聞もある人かなと思っていたのだけど、文教族は暗愚の系譜なんだな、ホントに。県知事を目指すべきと山野氏に新聞を通じてエールを送ったのも、単に党勢拡大が目的じゃなくて、もっと具体的な意図があったのだね。
ああ、馳浩氏といえば
blogos.comとか、
で
「家族を大事にするのは当たり前のことなのだから、憲法に書いたって、特に悪いことは起きないだろう」という人
と揶揄されている一派の一人として社会的に認知されているのだけれども、そしてそれはザンネンな人だと思われているということなのだけど、それでもまだ決定的にダメとまでは言い切れないところがあった。(ホントかウソか)高見順が好きすぎて、という話はとてもじゃないがキライになれない。
でも今回の事象は、決定的にダメだなあ。
国のことでも無ければ、県全体のことでもない。足下の利権の代表としての発言としか思われないことを、すなわちある一市町村の利益のことを県政代表にあえて問うというのは、どうしようもなく時代遅れだし、致命的にずれている。
いや、ずれているのはこっちの方か。選挙で選ばれた人と一個人を比べれば、どちらがボリシェビキなのかは自明だもの。でもこういうのが続くと、自分がボリシェビキになる方法を真剣に考えてしまうなあ。
どうすれば自分をボリシェビキにできるのだろう。もしかしたら人生最後の命題はそれなのかも知れない。
いや、半ば本気で。
11/10
予定通り蟹、予告通りずわい。近江町市場で結構な大きさのものを二杯買い求める。一人一杯宛て也。
夕食はひたすらに蟹。ずわいを一人一杯だとさすがに食べたという気分だが、体が冷えるのには閉口。蟹は寒性のものなれば也。
なに、以前なら酒を入れていればどうということもなかったのだ。今は酒を飲みつつであっても段々に冷えてくる。これが年をとるということなのだ。来年は加減なり、やり方なりを考えなければならないと思う。
おっと、蟹そのものの記録を残しておかねば。
二杯の蟹は店で持たせてもらったときのずっしりとした手応え通り、それぞれ十分に熟しており、しかもゆでて間もないものだったため、蟹という言葉と不可分に思われているあの匂いが一切なく、身も、脚も、邪魔者なしに楽しむことが出来たのは誠に重畳だった。ゆでる時の塩加減というのも、実は店によって結構違っていて、ある店では味をぎゅっと引き出すために多めの塩を使ったり、ある店では蟹のほのかな甘みを邪魔しないような塩の使い方をしたり等、それぞれに言い分があるのだが、今回のものは控えめ。ゆでて時間を空けずに食べるのなら薄めの塩もまた良しである。
面白かったのは、二杯の蟹のうち、どちらかと言えば身が熟している方は、他方と比べると脚の味が今ひとつ薄く、逆に脚の味が濃いと思われた蟹の方は身の熟れ具合が幾分浅い。ものによって発達の順番が身からなのか、脚からなのか異なるのだろうか?そして最上級の値が付くものだと、両方のバランスがちょうど良かったりするのだろうか?これも来年の課題である。食べ比べるのも今回が初めてではないのだから、要するに今までは漫然と蟹を食べていたのだと言える。幾分恥じ入る心持ちである。
11/11
本日は金沢市の市長選。
市民の権利を行使する・義務を果たすために投票所に行く。それ以外は引きこもって家中の整頓、掃除など。外構の掃き掃除をしたところ、腰に著しい違和感。ここからに先に進むとまた寝たきりになりかねないと、これは途中で切り上げる(掃除機は大丈夫なのだから、単に中腰だけが問題なのではないと思量する)。
さて、その金沢市市長選。現職が勝ったのだが、投票率は金沢市において過去最低の24.92%であった。市長選に関する備忘録は日を改めることにして、まずは投票率の恥ずかしさを残すにとどめる。
※全国における最低投票率については投票率 - Wikipediaに詳しい。
(11/18追記)
内訳を見てみようと金沢市のサイトを漁り、地区別投票率のデータを発見する。
投票率は過去最低の24.92に詳しい。に詳しい。
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/15177/1/H261005shicho.pdf
一体どこが足を引っ張っているのだと見はじめたのだが、どこをみても50%前後の値がある。これは一体!と悩んでしばし、ようやく表題に平成26年とあることに気がついた。さて、一週間ではまだ早すぎたのか、それともあまりのことに掲載をためらっているのか、しばらくしたらまた見て見ねばならぬね。
11/12
昼は福井のオフィスへ。福井駅前のバーガーキングでテイクアウトしてからのオフィス入りである。またしてもバーガーキングなのは確かにどうかと思う。
さて、何度も日本から撤退してはまた甦るバーキンであるが、今回の黄泉がえりでは、パティの焼き方がアカンようになっていて悲しい。前世では油が落ちるグリルの仕方だったのが、今生のパティは油まみれである。材質が変わったというより、器具の仕掛けの問題と見るが如何。
だったら食うなよという話なのであるが。
夜は友人関係のうち、ネコ多頭飼いクラスタの人々の集いに招かれ、ハマグリ鍋をごちそうになる。ありがたや。
調理をする人が本職なので、場所は個人宅なれど、鍋の中は完全にプロスペックの景色。最後は極めて濃いハマグリだしにラーメンを入れて完結、となる筈が、それではまだ止まれない若人が米的なものを更に求めて、出汁を使ったチーズリゾットまで。赤ワインとの相性の良さに全員がしびれる。
「まだ月曜日なのにね」あまりの楽しさに、何度かそういう言葉が出てくる。そのときに決まって暗い顔をするのは若い人なのであった。アレコレ気にかかることがあるらしい。真面目だなあ、若い人(いかん、バブルおやじとか言われちゃいそう)。はやく7、8割の力で勤め人暮らしをおくれるようになってくださいね。目の前の事に10割ぶっこんじゃいけませんからね。
もちろんネコ多頭飼いクラスタの集いであるので、そこにも複数のネコ様が。飼い主(と書いて下僕と読む)以外の人間は、みんなネコ様と仲良くなりたくて必死である。端から見ていると、頭おかしい。昼間(人によっては夜間)の商売をしているときの立場、肩書き、顔つきはどこへやらである。
ワタシ?もちろんですとも。
11/13
某件において驚愕の事実が発覚。戒厳令を敷く。
つまり憲法も、法律も停止されました。それの意味するところは人権の停止です。
はぁぁぁぁぁぁぁ、なんでだろうねえ。どうして話を突き詰めないのかねえ。あとで検討漏れが出てくるのを恐れることができないのはなぜなんだろうねえ。
11/14
戒厳令続く。
11/15
戒厳令続く。
11/16
戒厳令続く。
頭の使いすぎでめまい。あまりにしんどいので小学生のように22時ごろ就寝。しかし頭の使いすぎでなかなか寝付けず。
ところで飛行機の操縦士のアルコール摂取(と隠蔽)の事件で喧しい昨今である。スゴく不思議なのは、メディアに流れてくる「事件は問題だが、時差があるので寝るのが大変で、酒類を摂取するにも一定の理がある。だから難しいのだ」などの操縦士OBのコメントに対しての突っ込みをついぞ見かけない事だ。
入眠の問題は、導入剤で解決するのが王道なのでは?
アルコールは睡眠の質を下げるし禄なことないぜ、と精神科医とかがコメントしてもよさそうなものだが。アルコールが、鬱の最後の一押しをする事だってよくあるのだし、薬理作用を求めての摂取についてはそろそろ意識を変える時期だと思うんだけどねえ(もちろん、純粋に楽しみを求めてのものは、楽しみとして完結できる範囲において許されるべきだと考えるけどね)。
ようするに、マイスリーとか、超短期型の導入剤をもっと簡単に手に入るようにしたほうが社会全体の利得が向上するのでは、ということだ。不眠対策へのアルコール摂取からの鬱や依存症、内臓疾患などは意外に国をむしばんでいると思うよ。そういう人を周りでも見てきたし。
誠に痛ましいこと也。
11/17
家人が一泊二日の旅行に出かけるので、全くもってフリーの週末となる。
つまり全き堕落である。掃除、洗濯はするけどね。
普段は車やバスや自転車で出かけるところを全部歩いて回る。時間の無駄遣い、これも堕落の一形態である。
夜は用事があり、友人の店を二軒ほど回る。一つはインド旅行の情報をもらうため、もう一つは12月のキングクリムゾンの金沢公演のチケットを受け取るため。クリムゾンのチケットは3列目中央であった。運の前借りなのか、いままで貯めた徳の放出なのか、それとも単なるサイコロの出目なのか。まあ確率とはバラツキの事也、たまにはそういう事もあるとして、それへの意味付けは停止しよう。グルジェフもそう言っていたではないか(大筋において)。
帰宅(これも歩いて)したときには二時であった。これも堕落である。
一人であるので照明をつけっぱなしで就寝。この癖だけは中々直らない。当家に残った二人のうち、ワタシの方が長らえたとすると、近所からは一晩中明るい部屋がある変な家と呼ばれる事になるのだろう。
なるほど、それは困るね。
今回のエントリは、夏の終わりに買った
に関する(いつにも増してだらだらとした)メモランダム。
話は大昔に遡る。小学生から中学生になるころの話だ。橋場町の三叉路から一本入った通りにあった喫茶店のJBL4343(だったかな?)で、自分が持参した冨田勲の宇宙幻想-COSMOSというアルバムを聴かせてもらった事がある。そして、世界が大きく転回したのを覚えている。
はあ、ホントはこんな音が入っていたのですね。割れずに冒頭の低音が出るのですね。モーグで重ねたバッハは、こんな諸行無常の響きがするべきなのですね。僕もJBLのスピーカーを使ってみたいなあ、と子供心にも思いましたことよ。
とはいえ、その後の人生には山有り、谷有り、更に谷有りで、子供のころの衝撃を忘れて、
「高いオーディオで聴かなきゃ判らんない楽曲ってのは音楽の敗北だ。オレはミニコンポ以上のオーディオセットを断じて認めん」とまで言い切ってみたりするようになっていた(ホントに公言したことあったっけ? まあ、そういう気分だったのは間違いない)。
これは、Hi-Fiオーディオで例えばパンクを聴くのはかっこ悪いぜ、等に類することではなくて*1、プログラマー的な資質が発現し、プログラマー的に考え、(過剰に)プログラマー的に振る舞った結果なのだろう、おそらく。
なんとなれば、ワタクシどもプログラマーはイデア論が大好きで*2、どこかにあるイデアの射影としての世界に住んでいるのだと、割合に真剣に信じている。ここを出発点として、音楽の再生も所詮イデアの射影じゃないの、という気分になっていた。プログラマー的な主張を煮詰めれば「再生音がローファイだとしても、イデアは変わんないのだから、ガタガタ言っては格好悪いのだぜ? と主張せねばならないのだ」と思っていたのだね。ああ、若かったなあ。バカであったなあ。
ちなみに譜面というイデアがはっきりとあるクラシック系の場合、面白いことに二派に分かれるようで、判ればいいというローファイ派(ミニコンポ派)と、ソース(演奏)を忠実に聴いてこそ音楽だというHi-Fi派の両方がいるそうだ。芸大出のお友達に聞いた話。
さて、Hi-Fi(指向)に還ってくるのは、2010年にiBasso Audio D12 HjというポータブルDACを買ったのがきっかけだ。iPodの容量が足りなくなって、仕事中に聴く音楽*3をPCに蓄えるようになり、さすがにPCのヘッドフォン出力ではなあと手頃なUSBDACを買ったのが運の尽きだった。あまりにもiPodと再生音質が違い過ぎたのだ。
同じイデア(ソース)から鳴る音なのに、どうしてこんなに違うのだろう?
当たり前だよね、違うにきまってるじゃない。ハードウェアリソースの制限も、設計方針も違うんだから再生音も違うよね。理屈ではその通り。でも、それが判らないくらいの根深い「教条主義」にとらわれていたんだね。目のうろこは落ちてみないと判らない。自己解体を継続的に繰り返しているつもりだったけど、まだこんな「開かずの間」があったなんて。
世界が写像に過ぎない事と、より良い音で鳴らすことによってイデア(ソース)に迫る事の徒労性*4は、似ているようで全然違う。後者は徒労であるにせよ、その過程でワタシには官能がもたらされる。それこそが生きるということではないか(大げさな...)、エウレカ!
判ってしまえば一瀉千里。そうして機器類のアップグレード地獄が始まった。満足して、アラが見えて、不満になって、アップグレードを計画して...。まあ、確かに生きるということそのものだね、このループ。
septiembreokbj.hatenablog.comに記した
5.スピーカーのエンクロージャーに穴をあけてミッドレンジユニットを追加
も、そのループの一環だ。
そして今年の夏、ついに悟りが訪れた。
Q.シヌまでこんなの続けるの?いくら暇つぶしだからって、もうちょっと気の利いた時間とお金の使い方があるんじゃないの?特に、お金。
A.そうですね、ワタシのしたかったことは「より良い音で鳴らすことによってイデア(ソース)に迫る」のであって、そこまでの道のりを楽しむことではないですよね。
そして、マキシマムのセットを買ってしまえば、「より良い」の追求は終わるのだということが突如了解されたのであった。
ではマキシマムのセットとは何か?家を建て直すのでなければ、現状の当家が制約となる。当家における範囲でのマキシマムと解すればよいのだ。そしてマキシマムに対する制約はもう一つある。ワタシの年齢である。
マキシマムが通時的に不変な性質だとすると(この5年におけるマキシマム、など時間的な区切りがないものとすると)、70歳を過ぎて一人でセッティング変更ができるようなサイズ、重さでなければならない。
確かにオーディオは青天井だけど、自分の、という限定子が付けば着地点があるのだね。ある意味先行きが見えたという事でもあるけど、妄執にとらわれずに済むとポジティブに受け止めることもできる。事実、今回のワタシはその立場をとって、「自分にとってのマキシマム」を選ぶことにしたのだった。
相変わらず、長いね。でも、あと少し。
そこまで来たとき、シヌまでに一度はブルーバッフルのJBLを部屋に置いてみたいと、子供心に思ったのが甦ってきた。特徴的なブルーバッフルのデザイン(※)、2ch(今は5chか)のピュアオーディオ板では「青タンス」と呼ばれ、団塊しか買わないと馬鹿にされているのは知っていたが、あちこちのレビューを眺めてみると、最近では見た目JBL、音はモダーンというモデルもあるらしい。
※なんとこのブルーバッフル、当時JBLの代理店だった山水の企画によるグラフィックデザインらしい。アメリカが、カリフォルニアが、と当時の雑誌で喧伝されていたが、何のことはない、日本発だったのだ。
ということで、秋葉のヨドバシに出かけ、ブルーバッフルの外観を持つ4307、4312SE、4429と、本機4319を聞き比べてみた。それが7月のことだ。結果は以下の如し。
そうして4319と決め、それでも一ヶ月以上逡巡したのちに注文、ようやく家に届いたのが8月の終わりだ。
買って良かった。心底そう思う。
昔から知っている積もりのソースに次々と新しい発見が出てくる。作曲者やパフォーマーの意図だと思っていたことがひっくり返されるのも再三だ。Zeppelinの2010年代リマスターの意義も、ようやく判った。これからは4319をリファレンスにして音楽に向かい合っていくのだ。
そして、子供のころに思った欲からも、最近のオーディオ地獄という執着からも、これで解放され、「老後」に専念できる準備がまた一つ整ったのも目出度い。欲や執着の整理をしていかないとね。透明になっていくんだ、オレ。
と言いつつ、アンプとかDACは、もうワントライあるんじゃないかなあと思っている事も、そっと残しておこう。度し難し。
二日酔いというよりは、まだアルコールが残っているまま目をさまし(蟹のノロイについては 11/7 蟹 - all things must pass に詳述)、7:48発のかがやきで東京へ。渋谷で打ち合わせ兼ランチ。それが終わってから軽井沢へ移動。合宿形式で行う、若手にアレコレ討論してもらう社内イベントのため。
行きの新幹線もそうだけど、標高940mの軽井沢駅が暖かすぎる。11月なのに何ということだろう。この世の終わりのことについては別途書くので、今日は事実のみ記す。
軽井沢での社内イベント、内容などは社外秘なので詳述しないが(できないが)、正解を求めたり、自分の考えている事を無批判に肯定したりする態度というのはどうしたものだろうねえ、と思った事は残しておく。真面目だし、熱心だし、それはもちろん素晴らしいのだけど、そのままだと対面する問題の性質によっては、局所最適に陥ったり、存在しない解の探索のうちに時間を消費し尽くしたりするよね。一般解なんか手に入らないと割り切る態度(※)、自分の考えですら何らかの前提なりフレームワークに制限されていると見切る態度、そういうものの重要性を語り続けているのだけど、中々羽化しない。
※求められる条件に対して妥当な答えで満足する、という適切な妥協を認める態度と言っても良いでしょう。
そういうのって、個人の能力の限界だから判らない人には何を言っても判らないよね、そういう事なのかもしれない。でも、その人の理解の回路に入り込めるメッセージが出せないという、こちらの伝える能力の問題なのだという可能性も大いにある。だからこちらも研鑽をつみつつ、気長に待とう。怒ったり、暴れたり、絶望したりしても、仕方が無いじゃないか。
とはいえ、ちょっとめまいのする事があった。彼らは普通か否かというのを、自分と同じかどうかで判断するのだね。「普通」ということの定義を述べて、そこからの距離で測るということが出来ないのにはびっくりした。us and themを会社でもやりかねないな(いや、一部にはその傾向があって、しかも年齢とともに強化されてきているのだ。いやな事だけど事実として直視しなければならないな)。そこは注意していなければならないな。人間はすぐにus and themをやりたがるのだけど、それは滅びへの道だ。弊社では許さんよ。
それでも恙なく社内イベントを終えて、18:30ごろに金沢着。そこからオフィスにちょっと寄って後始末。それも20時には終わって、食事をせねばと思って片町方向に出るものの、何となく人に会う気になれず(※)、一人でぼちぼちやるために、竪町通り商店街にあるお好み焼きの店「しずる」に行く。ここは四人がけのテーブルが鉄板になっていて、そこで自分の好み、ペースでやれるのだ。息子がいたときに二人で何度か来た。
「お好み焼きくらい手際よくやれないと、人生困るぜ」
そう言いながら焼き方を伝えたのを思い出す。そのときも、いまも、周りはカップルばかりだ。そういうシチュエーションで彼が困らないようにと思ってのレクチャーだったが、困る、困らないの手前の事だったなあ。
※多分、イベントを円満裡に完了させるために、脳内物質を振り絞ってファシリテートした為。車の運転以外、基本的にはやれない事はない(器用貧乏ともいう)のだけど、モノによっては脳内物質の燃費が異常に悪いという弱みがあって...。
なにしろ「しずる」は良い店で、おっさん一人で入っても親切極まりない対応だ。こういう感じの個人経営のお好み焼きの店はあちこちにあったものだけど、今では町中だとここだけになってしまった。長く続いてほしいものだ。
満足して店を出ると雨が降っていたので、しいのき迎賓館の前でバスを待って帰宅。なにもする気になれないので、風呂にさっと浸かって寝る。ちなみにこうやって入ったか、入らないかくらいで風呂を使うのを、当家では「引き出し昆布」と呼んでいる。
出ている出汁の、使いでは知らない。